産繊新聞社

「しるし暖簾」の登場で家庭から商業の場に

「しるし暖簾」の登場で家庭から商業の場に

平安時代の絵画に描かれた暖簾は、白布と色布で「しるし」のようなものは入っていない。つまり広告という要素を持っていなかったのである。しかし鎌倉時代にはいるとところどころに家紋らしきものが入った暖簾が見えるようになる。〝一遍上人絵伝(1299年完成といわれる)〟には明らかに鶴を模した絵が入った長暖簾が民家の門口に掛けられている。しかし、当時苗字も無い、家という概念もない一般庶民が、何故家紋にも似た印を絵に入れたのか疑問をもたないだろうか。これに関して谷峯蔵氏は「暖簾考」のなかで「色布を目印にするには限界があって、付近に同色のものがあっては意味を成さない。したがって、公家や武士が使用した家紋や旗印を真似ることで、隣と分けるようにしたのではないか」と記している。
これが室町時代に入ると暖簾の活躍の場所が民家から商家へと移る。〝鏡破翁絵詞(かがみわりおきなえことば、1450年あたり)〟の中では、商家の入り口に笹や壺の絵が描かれた暖簾が見える。木綿の布が手に入りやすくなり、染色も容易なことから「しるし暖簾」が発展していく。取扱商品を明示するようになったことは、商家自らが広告に目覚めたことを意味し、日本における屋外広告の始まりでもあった。ただ、識字率が低かった当時、文字はあまり入っておらず、暖簾に文字が入るようになるのは寺小屋などで教育が浸透していく江戸時代であった。

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