産繊新聞社

「紺幄」と「斑幄」

「紺幄」と「斑幄」

ここからは、幕、幄覆(天幕部分)の色彩についてお話していきたいと思います。
もともと幄は染色によって2種類に分けられていました。「紺幄(ふかはなだのあげはり)」と「斑幄(まだらのあげはり)」で、読んで字のごとく前者は「紺色」の布帛で、後者は2色、または多数の色の布帛を縫い合わせた斑(まだら)の布帛のことをいいます。
幄(天幕を持った構造)が世の中に登場した当初は紺幄が中心でした。〝日本書紀斎明天皇〟に「二年、是歳於飛鳥岡本、更定宮地、時高麗百済新羅遣使進調、爲張紺幕於此、宮地而饗焉(訳・二年この年、飛鳥岡本において宮を定め、高麗百済新羅に使者を遣わし、調度品を贈り、この宮では紺の幕を張って饗宴を行った)」、〝令義解※1(軍防)〟には「凡兵士火毎、紺布幕一口(訳・兵士10人につき紺の幕一口を用意した)」、〝延喜式(斎宮)※2〟の造備雑物の項には「紺絁幕一具(訳・紺のあし衣幕一具)」〝皇大神宮儀式帳※3〟には「紺染幕布四端(訳・紺に染めた幕布四端)」とあり、古い書物ほど紺の幄が使われていた様子が描かれています。
ところが、平安時代後期から鎌倉時代にかけては「斑幄」が多く使われていて、その様子を年中行事絵巻が伝えています。年中行事絵巻の住吉家模本は全16巻あり、巻1~巻7は彩色、他の9巻は白描であることから、今回は彩色の部分(7巻)に描かれた「斑幄」とその色彩を列挙してみます。
巻1・朝覲行幸
朝覲行幸を迎える院御所の室礼の場面で中庭の池に浮かぶ中島に楽屋として幄舎が描かれている。幄覆は「緋(赤)」と「紺」を一対とした天幕。
巻2・関白賀茂詣
賀茂川原の禊祓(みそぎ)の場面で四方は幔で囲み、その中央に幄舎が建てられている様子が見える。幄覆は「緋(赤)」と「紺」の幕を経て継ぎし、その上下を「黄」の布で継いだ天幕。
巻3・闘鶏・蹴鞠
鶏合わせの場面で唐楽と高麗楽の座に2基の幄舎が描かれている。幄覆は「緋(赤)」、「黄」、「紺」、「緑」、「黒」の5色を経て継ぎしたカラフルな天幕。
巻6・大饗
料理を準備する座に2間の幄舎が描かれている。幄覆は「緋(赤)」と「白」の2色を横継ぎした天幕。
ただ、年中行事絵巻にも巻4の「射遺」で建礼門前の公卿の饗席、巻7の「御斎会」では大極殿前の唐楽と高麗楽の座として「紺幄」が描かれていて、「斑幄」とどのような使い分けがされていたのかは定かではありません。
もうひとつ気になるのは昔の書物に「錦の平張(にしきのひらはり)」「錦の帷幕(にしきのあげはり)」という単語が見えること。〝今昔物語〟(右近馬場殿上人の項)に「捊ヨリ西ニハ、其レモ南北ニ向様ニ勝負ノ舞ノ料ニ、錦ノ平張ヲ立テ、其ノ内ニ樂器ヲ儲ケ、舞人樂人等各居タリ」、〝枕草子〟には「内に入りぬればいろいろの錦のあげはりに、みすいと青くてかけわたし、へいまんなどひきたるほど、なべてただこの世と覚えず」と「錦(様々な彩糸を駆使して文様を織り出した彩帛)」が使われていた様子が書かれています。
この錦の生地がどのようなものであったか、どのような文様をしていたかは、現代に残る絵画から窺い知ることができないのですが、唯一「駒競行幸絵巻」の中に幄覆が「緋(赤)」と「黄」の「斑幄」でそこに変わった文様(定番の西陣織の文様ではない)が描かれています。この絵画の作者が文様を写実した後ではないかと筆者は考えております。

※1・令義解
833年、淳和天皇の勅により右大臣清原夏野を頭として、文章博士菅原清公らによって撰集された令の解説書。
※2・延喜式
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三代格式の一つ。
※3・皇大神宮儀式帳
皇大神宮に関する儀式・行事を撰録した書
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参考文献
平松文庫・皇大神宮儀式帳(京都大学附属図書館所蔵)
日本絵巻大成8 年中行事絵巻/小松茂美(中央公論社)
日本絵巻大成23 北野天神縁起/小松茂美
新・日本絵巻大成23 伊勢物語・狭衣物語・駒競行幸絵巻・源氏物語絵巻(小松茂美)
有職故実大辞典/鈴木敬三著(吉川弘文館)
有職故実/石村貞吉著(講談社学術文庫)
古今要覧稿/屋代弘賢著(原書房)
三船祭り
京都・嵐山の三船祭りの船の天幕。黒(藍)と赤の斑幕で木瓜紋が入っている

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