産繊新聞社

昭和30年

昭和30年

社会での出来事
前年12月より神武景気(~昭和32年6月)が起こり、日本の高度経済成長が始まった。
トヨタがこの年の1月、「トヨペット・クラウン」を発売した。現在でも高級車のひとつに数えられ50年以上の長きに亘るロングセラーとなっている。3月18日、南太平洋地域の遺骨5千9百体と元日本兵4人を乗せ「大成丸」が横浜に帰港し、戦後のひとつの区切りとして捉えられた。7月1日、東京・文京区に「後楽園ゆうえんち」がオープンし、日本初のジェットコースターが登場、若者の人気を博した。8月に入ると森永粉ミルクヒ素中毒問題が表面化、各地で患者が続出し社会問題となった。三重県津市海岸で水泳講習中の女子中学生が高波にのまれ36名が水死する事故(7月28日)や北海道茂尻炭鉱のガス爆発(11月1日)で60名が死亡する事故が起こっている。石原慎太郎が「太陽の季節」を発表、男性は慎太郎刈り、女性はポニーテールが流行った。9月30日にはジェームズ・ディーンが交通事故を起こし24歳の若さでこの世を去った。
音楽では「この世の花」/(島倉千代子)、「月がとっても青いから」/(菅原都々子)、「赤と黒のブルース」/(鶴田浩二)、「別れの一本杉」/(春日八郎)などがヒットした。
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業界での出来事
この年の業界の大事件は、帆布の最大手であった東洋繊維(2008年に再度会社更生法申請、現在再建中)が手形決済不能から経営不振に陥ったことであった。業績不振、麻製品の輸出停止、設備資金の固定化、タコ配による資金難が原因とされたが、新興産業(現・東洋紡STC)の吉川社長が業界の浮沈に関わる事態として調停役に立ち、会社更生法適用から再建に取り組んだ。しかし下期に至っても解決に至らず、帆布業界、特に特約店は無理強いされた金融手形のために手傷を負い、東京の東邦商会が閉鎖(八月に東宝繊維㈱として再出発)、㈱大谷帆布店が大谷重布㈱、三興帆布工業㈱が㈱津田商店と第二会社を立ち上げ、再出発せざるを得なかった。一方でこの東繊問題が、業界内部の粛清につながったことは紛れもない事実であった。
東繊問題によって業界に粛清気運があった一方で、テント業界は好況へと向かった。天候も業界に味方、適時の降雨、夏のカンカン照りでシート、日除け共に需要が増大した。船具業界も造船業の好景気で濾過布の需要が増えていった。また、ハッチカバーに関して、人気が高まっていたジュラルミン製カバーが電気開閉部分の故障が多く、寄港地で修理する必要があり、荷揚げ・荷下しの作業に支障をきたすとの理由で敬遠されるようになり、キャンバス需要が復活しだした。
春の建築基準法改正によってアーケードの設置基準が大幅に緩和された。それまではアーケードは法的には認められておらず、基本的には違法建築の位置付けであった。この改正では①車歩道の区別がないところでも条件が満たされればアーケードを設置できる、②アーケードの建築は地方の道路管理者、建築主事、消防署長、警察署長で構成する連絡協議会が一致したときに限り許可する―などが付け加えられ、アーケードを「道路の全面又は大部分を覆う」、「道路の片側または両側に設ける」、「屋根が定着していない(可動式)」、「仮設日除け」の4つに分類し、それぞれで条件が付けられながら法の下での建築が許可されたのである。ちなみにこの頃は、テントのアーケードも多く、大阪の縫製メーカーの老舗・三和縫製は半円区画型アーケードを開発し、阿倍野区阪南町商店街に施工した。
この年、旭化成は全国十四万軒のタバコ店(専売公社)に直接「タバコ店専用サラン新柄」を提案したが、東京のテント縫製業者にとっては寝耳に水の話。メーカーが縫製業者を無視して商売をする不当行為として反発し、全都のテント業者の署名を集め対決姿勢を強めた。このときの署名メンバーが大連合会結成へと結びつき、高倉慶治氏(タカラ商会)を会長に、山下賢之輔氏(浅草武シート)を名誉会長として東京都天幕雨覆商工組合連合会が結成されるのである(昭和32年に東京天幕雨覆商工協同組合に)。

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