産繊新聞社

昭和35年

昭和35年

社会での出来事
1月10日、日米相互協力および安全保障条約(新安保条約)・協定をワシントンで調印(1月19日)したが、これを巡って日本国内は大荒れとなった。5月にはこれに反対する全学連主流派が首相官邸に突入、6月には安保改定阻止の第一次実力行使や全学連主流派4千人が国会に突入し、警官隊と衡突、東大生樺美智子が死亡する事件も起こった。
7月15日、岸内閣が総辞職、第一次池田勇人内閣が成立、初の婦人大臣(中山マサ)が誕生した。12月の第二次池田内閣では閣議で国民所得倍増計画を正式に決定し、日本の高度経済成長が始まった。このころ、大企業に勤務する平均的なサラリーマンの月収は、年齢35歳で約4万2000円、大卒国家公務員の初任給は約1万円で、東京では大都市郊外の借家暮らしが一般的であった。そのため通勤電車は超満員で、乗客を車両に押し込む学生アルバイトが駅に配置された。初のロングサイズのフィルターつきタバコ「ハイライト」が6月に発売されたが、定価は70円であった。7月に空気で膨らませるソフトビニールの人形『だっこちゃん』が発売され、特に若い女性に人気となり、半年で2百4十万個を販売した。8月にはNHKのテレビ受信契約が5百万件を突破し、さらに9月に入るとNHKなど6局がカラーテレビの本放送を開始した。
その他民主社会党が結成されたほか、5月28日にはグアム島から元日本兵二人が帰国した。俳優の石原裕二郎と北原三枝が結婚したのもこの年。大衆向けウィスキー「トリス」を飲ませる『トリスバー』が流行った。流行歌では潮来笠(橋幸夫)アカシアの雨が止む時(西田佐知子)、月の法善寺横町(藤島桓夫)、誰よりも君を愛す(松尾和子・和田弘とマヒナスターズ)など。テレビでは怪傑ハリマオ(日本テレビ)やララミー牧場(テレビ朝日)、早射ちマック(テレビ朝日)、書籍では「私は赤ちゃん」(松田道雄/岩波書店)、「どくとるマンボウ航海記 」(北杜夫/中央公論社)がベストセラーに。
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業界での出来事
昭和35年は正月から好調な滑り出しで綿帆布やビニロン帆布、合繊テントが飛ぶように売れた。こうした中、日本通運が橙色のトラックシートを使用、また、ダイハツが軽自動車(ミゼット)用の幌に黄色のビニロン基布を使用するなど、明るい色を好む傾向が生まれた。また後半に入ると、東洋紡と大和紡のカラーテントがヒットすると同時に、日除けテントが室内装飾とともに、生活を楽しくする役割を持つという考え方が世間に流れ出していた。アメリカではすでに花柄のテント地が流行していたが、日本国内でも数社のメーカーが3色使いの花柄デザインの日除けテント地の開発に乗り出した。業界の中でも明るい空気が流れていて、東西の業界親善を図るための親睦ゴルフ大会が開催されたり(2月8日、川奈コース)、商社・問屋・染工場・縫製業者で単独チームを編成し、野球大会も各地で開かれた。
東芝や味の素、三井物産など企業と通産省、東京都などが参加して、この年北米において日本品の宣伝を行なう北米大陸横断キャラバンPR作戦を行なった。その会場を小川テントが、110坪の大型テントで構築、約6ヶ月間ニューヨークからシカゴ、ロサンゼルスを経由してサンディエゴまで横断した。
日除け用巻上器、通称「文化巻」というと東京の大川工業の専売特許。当時、同社は後藤鉄工(日之出印)、林鉄工(宝巻)、川内製作所(平和巻)の三社に分権を承認していたが、これ以外に東京や大阪において類似品が多数出回りだしたため、パテント侵害で警告を発すると共に調査に乗り出すという事態が起こった。
第二次世界大戦後、繊維品の統制解除とともに解散した大阪天幕工業組合連合会は、「大阪天幕商工組合」と「大阪府第一帆布縫製組合」の二つに分かれていた。その一本化の必要性については数年前から叫ばれていたが、首脳部の利害関係や感情問題もあって実現できなかった。ところが前年に起こった伊勢湾台風によって名古屋組合の各社が被害を受けたことに対して同一歩調で支援したことで、組合のあり方の見直しが行なわれ、「大阪府第一帆布縫製組合」が発展的に解消、「大阪天幕商工組合」に合流して一本化された。理事長には若村三人氏、副理事長には橘岩男氏、野條四郎氏が就任した。また、全国で組合設立が続く中、この年三重県テント商工会が堀木義隆氏を理事長に発足した。
東京自動車ショーでは、アメリカのキャンピングカーなどが出展され、今で言うカーオーニングなどを紹介、また、大阪を中心にネオンサインに対抗して大行灯型の装飾テントが数多く見られるようになり、それも大型化へと向っていった。「コートを羽織るのは人間ばかりではありません。車も車体にあったコートを欲しがっています」とのキャッチフレーズで広瀬商会が移動ガレージを展開するなどアイデアさえあれば市場は拓ける時代であった。
十月に入ると、業界の話題をさらったのが竹村綿業㈱と帝人商事㈱の合併。十月一日をもって竹村帝商㈱として新発足した。竹村は綿の老舗、帝人商事は合繊の新鋭であり、重布業界の中でお互いの強みを活かした合併としてもてはやされると同時に他の商社にとっては少なからず脅威として映っていた。
アメリカのレビュー誌にはじめて空気膜建築物が紹介されたのがこの頃。プールなどのスポーツ施設のみならず、教会、商業施設といった市場に広がりを見せる同建築物に少なからず興味を寄せるテント業者や建築家が見られるようになった。
その他高島㈱社長の高島幸太吉氏が藍綬褒章を受章、帝国人造絹糸㈱はテビロン製造法の基本特許に対して恩賜発明賞の栄誉に輝いた。

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