産繊新聞社

昭和41年

昭和41年

社会での出来事
 2月4日、全日空ボーイング727が羽田沖に墜落、乗客乗員133人全員が死亡、3月4日には、カナダ航空DC8が濃霧で羽田空港防潮埋に衝突炎上、64人が死亡、翌5日にはBOACボーイング707が富士山上空で空中分解し127人全員が死亡―するなど何故か航空事故が続いた昭和41年。これによって航空需要が一気に冷え込んだ。
 3月31日には住民登録による日本の総人口が1億人を突破した。昭和40年秋頃から41年の春にかけて、日本各地で多数のチフス菌患者が発生。発生先が千葉大医学部付属病院の鈴木充医師が派遣された病院であったため捜査当局が同医師の身辺調査を行い、食べ物や飲料にチフス菌を混入させ人体実験した容疑で4月7日に逮捕された。6月に入ると、25日に国民祝日法改正が公布、30日には国民年金法が改正、30日にビートルズが日本武道館で公演した。
 7月4日、政府は新国際空港建設地を千葉県成田市三里塚に決定した。当時の佐藤栄作内閣は、地元から合意を得るどころか事前説明すら怠り、代替地等の諸準備が一切なされていなかったことから農民を中心とした地元住民の猛反発を招いた。政府は閣議決定であることを盾にして一切の交渉行為を行わなかったために、地元農民達は7月20日に「三里塚芝山連合空港反対同盟」を発足させ、ここから三里塚闘争が始まった。
 8月は自民党の田中彰治代議士の恐かつ・詐欺事件、9月は共和精糖への不当融資問題や自民党の荒船清十郎運輸大臣(現国土交通省)が選挙区の埼玉県深谷駅に急行列車が停まるよう国鉄(現JR東日本)にダイヤ改定をさせるなど閣僚の公私混同事件が相次ぎ、12月27日に衆議院が解散し、「黒い霧解散」と呼ばれた。
音楽では「悲しい酒」(美空ひばり)、「涙の連絡船」(都はるみ)、「函館の女」(北島三郎)、「いっぽんどっこの唄」(水前寺清子)などがヒット、テレビでは1月よりウルトラQがTBS系で、5月より笑点が日本テレビ系で開始、またNHKの連続テレビ小説「おはなはん」が大ヒットした。そのほか「丙午(ひのえうま)」で出生数は前年の25%減になったほか、ファッションではミニスカートが女性の間で流行った。かつての「三種の神器」(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)に代わって「新三種の神器」(カラーテレビ、カー、クーラー)という言葉も登場、「3C」と呼ばれた。
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業界での出来事
 前年(昭和40年)秋に底入れした景気は、昭和41年に入ってから急速な上昇に転じた。いわゆる「いざなぎ景気」の始まりである。業界では昭和45年大阪において万国博覧会が開催されることが決定したこと、翌年の昭和42年にカナダ・モントリオールで開かれる万国博覧会出展国のパビリオンに大型テントがスペックされたこともあって、テンション構造やエアードーム型のテントを、太陽工業、小川テントなど大手テント業者が競い合い研究しだし、それにあわせてメーカーも基布の開発に着手した。後楽園スタジアムでは野球がオフシーズンに外野フィールドに650坪のアイスリンクを建設したが、この吊屋根構造を太陽工業がテントで構築、これが膜構造建築の基礎となっていくのである。
 小川テントは独自の技術でエアードームを開発、大阪・福島区の野田プールに設営した。かまぼこ型形状で、75・85m×44・5m、高さは22・25mと当時のエアードームとしては最大級の規模であった。一方の太陽工業は、宮崎神宮(宮崎県)庭園内に約3000人を収容できる大型テント構造物を設営した。400㎡のテントを10張り組み合わせて一つにしたもので、野外パーティー用として設営、「ジャイアント・フラワー」という名称で呼ばれた。恒久建築物が建てることができない場所であったからこそ、テントの仮設性が見直された物件であった。
 倉敷レイヨンと日東製網が共同で開発し、増田清商店が発売した、「クレモナ建築ネット」は、軽さ、強さ、通風性、耐候性に加えて廉価性などの点から合繊建築シートにとってかわり、多くの工事現場で使われるようになったが、この頃になると日除けとしても使われることもあった。愛知県の本宮山頂スケート場で、日覆用途にこの建築ネットが採用されたニュースは、当時の業界にとってちょっとした話題となった。
 新製品関係ではクラレがビニロン帆布で垂直降下式避難袋を開発、また、太陽工業は屋根にガラス帆布を使った自動車を本田技研と開発してきたが、この年にはダイハツ工業と技術提携してボディー全体をガラス帆布で作った自動車を開発、富士スピードウェイ・グランド・ツーリスト・カーレースで総合優勝を果たした。また、司産業(静岡)は、プラスチック製の組立ハウス「ユニトップ」を発売、安井ミシンは合繊帆布などの自動目塗り装置を開発した。東洋紡はナイロンテントに500平米ごとに損害保険を付加したサービスを実施した。㈱大和商会(東京都台東区)が幌を被せたままで開閉できる装置で特許を申請、「ダイワボロ」の名称でトヨタ、ニッサンなど大手自動車メーカーに販売を開始した。インテリアでは、東装が、シルバー、ホワイト、木目、アルミの4種類のカーテンレールを発売、また、三菱レイヨンが濾過布・ロープに続いてパイレン糸を使った強度・耐候性に優れたパイロン帆布を発売した。
業界関係では4月に愛媛県テントシート製品工業会が、6月に高知県テントシート製品工業会が設立され、すでに設立されていた香川、徳島とあわせ四国四県それぞれに工業会が誕生した。またその四国四県をまとめる四国帆布製品工業会連合会が結成され、初代会長に中山満氏(中山装備㈱)が就任、東京では東帆、協組、連合会の3団体を統一した東京都テント・シート商工組合が設立され、初代会長に山下賢之輔氏(浅草武シート)が就任した。福岡重布㈱は新本社ビルを建設、12月2日に新社屋披露パーティーを開いた。
 全国の帆布業者の浄財寄進で兵庫・高砂神社に、戦時中の金属供与で解体された工楽松右衛門像の再建が計画されたが、その銅像の除幕式が5月11日、同神社で行われた。また、俣野㈱は新本社ビルを建設、5月17日に落成式を執り行った。
 訃報では平岡織染㈱平岡義次社長のご母堂である平岡はなさんが、2月4日、老衰のため逝去された(82歳)。

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