産繊新聞社

昭和42年

昭和42年

社会での出来事
 1月29日に行われた第31回総選挙で、自民党の得票率がはじめて5割を割った昭和42年。4月15日の東京都知事選では、美濃部亮吉氏が当選、革新都政が誕生すると共に全国で革新ブームが起こった。
 公害が深刻化していたこの年、富山県のイタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所の廃水が原因とする研究結果を小林純岡山大教授が発表(4月5日)、また、厚生省は阿賀野川水銀中毒が昭和電工鹿瀬工場の廃水が原因と結論を出す(4月18日)など企業の責任が究明されだした。
 10月8日佐藤栄作首相が第二次東南アジア・オセアニア諸国訪問に出発すると同時に、三派全学連が抗議デモを起こし、警官隊と衝突した。(第1次羽田事件)。さらに、10月10日に成田新空港が測量開始されるとともに反対派が座り込み。11月12日に、佐藤首相が訪米すると同時に、反日共系全学連が抗議デモを起こす(第2次羽田事件)など、学生紛争が熾烈を極めだした。
 そのほか国内では、2月11日が建国記念の日として制定、3月4日には高見山大五郎が初の外国人関取(十両)となった。7月7日~10日は西日本で、8月28日は新潟・山形地方でそれぞれ集中豪雨が起こり、西日本では死者・行方不明合わせて371人、新潟・山形地方では死者・不明146名を数えた。10月に入ると日本初の深夜放送『オールナイトニッポン』始まり、若者から主婦まで幅広い層で人気を得た。また、同じ月にイギリスのモデル・ツィギーが来日、これによってミニスカートブームが起こった。10月20日に吉田茂元首相が逝去され、31日に戦後初の国葬が行われた。また、11月15日に日米首脳会談が行われ、共同声明で小笠原諸島返還が発表された。
 国際的には6月5日 第三次中東戦争が始まったと同時に、6月17日には中国が初の水爆実験を試み、一気に緊張が高まった年でもあった。そのほか7月に欧州共同体(EC)、8月に東南アジア諸国連合(ASEAN)結成されている。
 歌謡曲では「夜霧よ今夜も有難う」(石原裕次郎)、「世界は二人のために」(佐良直美)、「小樽のひとよ」(鶴岡雅義と東京ロマンチカ)などがヒット、漫画では4月1日に天才バカボンが連載開始、アニメでは4月2日、「パーマン」、「マッハGoGoGo」、「リボンの騎士」の放映が開始された。クレジット販売やゴーゴー喫茶・アングラ酒場が大盛況。着せ替え人形「リカちゃん」(タカラ)が発売されたのがこの年の7月4日で、現在までの累計で5000万体以上が出荷されている。
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業界での出来事
 昭和42年は年明け早々、綿糸の国内相場が高騰、そのため、大手商社筋は高級品は国内産、下級品はパキスタンより輸入するといった動きを見せ始めた。ところがこの施策が後の業界に暗い影を落とすことになる。好景気のときは、高級品と下級品を分けて市場が形成されていたが、いざなぎ景気が終わる昭和45年頃には、エンドユーザーは低価格品のみを希望、さらに品質的にも国内産とパキスタン製にそれほど差が見られず、結果として商品価格の低下だけを招いてしまった。後半に入ると、業界の中で海外旅行熱が高まった。カナダ・モントリオールで万国博覧会が開催されたこともあり、当紙主催で約20日間のカナダ・アメリカ旅行が開催された。また、東京サランテント会は9月13日から3泊4日の日程で沖縄視察旅行、関東サランテント会は10月5日~9日の4泊5日の日程で韓国・釜山、ソウル視察旅行、関西サランテント会は10月24日から4泊5日の日程で台湾・沖縄視察旅行を開催した。この頃はテント業界隆盛の時代で、各社がこぞって招待旅行を行い、以来その過剰サービスの是正が求められるようになっていくのである。
 好景気もあってか、業界の中で様々な懇親活動が行われた。十三防水主催の大阪繊維業界野球大会では、帝人商事が初優勝、トーソー主催によるボーリング大会も6月14日に品川で開催され、日米ブラインド工業が優勝、さらに大阪業界人の魚釣りクラブ・OCFCもこの年設立、6月25日に兵庫県播磨沖で第一回釣り大会を開催している。
 三重県の北村テント商会は、増田清商店が発売した「日東のクレモナ建築ネット」を用いて岐阜県の瑞浪高原スケートリンクに日覆テントを施工、丸山シート商会(長野県)はテント式簡易冷蔵庫を開発、リンゴ生産農家を中心に展開を図った。ニチボーと関西帆布化学防水は共同で、縮みのない柔らかな「ビニロン防水帆布」を開発、三福商店主催で勉強会を開催している。これは、「はしけ」用として開発された生地であるが、関西では硬めの生地が喜ばれたのに対して、関東では柔らかめの生地が喜ばれていたため、地域ごとに特色をつけて作った商品であり、在庫リスクを考える今では考えられない展開であった。
 組合関連では兵庫県天幕商工会が発展的解散し、新たに公認組合の兵庫県帆布商工組合が設立された(須波義人理事長)。また、現在は解散しているが奈良県にもこの年天幕工業会が生まれ、3月4日に橿原市の福本旅館で設立総会が開催された。初代理事長は朝日テント商会の南辰治郎氏が就任した。日本帆布製品工業会連合会は5月10日に総会を開催し、若村三人氏が理事長を退任、新会長に小峰徹氏が就任した。また、大阪府帆布工業組合(浜上義雄理事長)は3年後の大阪万博を睨み、「明るい街・お店の反映は日除けテントで」をスローガンとした〝テントコンクール〟を実施した。フレキシブルコンテナ工業会が設立されたのもこの年であった。
 この頃は大型テントの黎明期。矢野テントは国鉄大阪駅東出口前広場に2000㎡の長距離帰省客待合所を、また12月には、大阪今里の「朝日スポーツセンター」の3階屋上には1500坪のエアードームを設営した。また、小川テントも北九州市若戸のローラースケートリンクや愛知県豊川の愛知スポーツセンターにエアードームを設営している。また、ユニークなデザインの日除けテントが好まれて使われたのもこの時代。タカラ商会は永園設計事務所とのタイアップで宮崎県霧島のホテル林田温泉正面庭園休憩所に吊屋根方式のテントを施工、唐津市の佐伯テント商会は市内シーサイドヘルスセンターにアーチ曲線が特徴的な野外ステージ用テントを施工している。
 業界関係では愛知県の村山商会が創業50周年を記念して新社屋を竣工、太陽工業の枚方工場も11月中旬に竣工している。高島は高島幸太吉氏にかわって高島幸三郎氏が新社長に就任した。

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