産繊新聞社

昭和44年

昭和44年

社会での出来事
 この年前半の大きな出来事といえば学生紛争。1月15日、東京・本郷の東大構内安田講堂に全学共闘会議派学生が立てこもった事件で、大学は実力排除を決め、警視庁が機動隊を導入した。学生は最後まで抵抗を続けたため、ヘリコプターを使っての催涙弾投下、放水など1日半にわたる攻防が続いた。この騒ぎで学生375人が逮捕された。5月23日に文部省が「大学の運営に関する臨時措置法案」をまとめたが、全国大学30校以上が反対を声明するなど混乱が続いた。
 6月10日、経済企画庁は前年度の日本の国民総生産(GNP)が世界第2位になったと発表、名実共に世界の先進国の仲間入りを果たした記念すべき年であった。7月20日、アポロ11号が月面着陸に成功。日本でも各テレビ局一斉に特別番組を組み、未曾有のフィーバーに列島は包まれた。8月18日、甲子園において繰り広げられた青森・三沢高校と愛媛・松山商業の試合は、球史に残る名勝負。延長18回を戦っても決着がつかず、翌日の再試合で三沢は敗れたが、たったひとりで投げ抜いたエース・太田幸司は女性ファンたちの心をつかんだ。
 2月1日、たばこの「セブンスター」が専売公社より発売された。4月7日、前年東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺した永山則夫が東京で逮捕された。5月26日には、東名高速道路が全線開通した。変わったところではこの年の6月にコンドーム自販機の登場した。人工甘味料のチクロが問題視されたのがこの年の秋。発癌性や催奇形性の疑いが指摘されたため、10月29日、厚生省はその使用の全面禁止を決定した。これにより多くの食品・菓子の甘味料が変更となったが、味が変化したり、安価なチクロが使えなくなったことで、価格上昇が起こり、姿を消した商品も少なくない。しかしその後の調べでは、チクロに発がん性が無いことがわかり、ヨーロッパでは今でも使われているという。
 ヒット曲では、「白いブランコ」(ビリー・バンバン)、「風」(シューベルツ)、「長崎は今日も雨だった」(内山田洋とクールファイブ)、「夜明けのスキャット」(由紀さおり)、「港町ブルース」(森進一)など。そのほか、日本テレビで「巨泉前武のゲバゲバ90分」が放送されたのがこの年の10月。ファッションでは女性にパンタロンやマキシコートが流行、おもちゃでは「ママレンジ」(アサヒ玩具)がヒット、流行語では「オー、モーレツ」や「ニャロメ」、「アッと驚くタメゴロー」など。映画では「橋のない川」(監督・今井正)がヒットした。
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業界での出来事
 翌年に大阪万博を控えたこの年、合繊各社、綿紡各社とも増収増益。テント業界全体が博覧会景気を向かえ、大いに盛り上がっていた中、業界ではテントに関する研究や研修が頻繁に行われた。太陽工業㈱は「二世層の育成による業界の向上」を目指し、大阪科学技術センターにおいて「大型テント研究会」(後援・本紙)を開催した。能村龍太郎氏、博正氏、磯野義人氏がスライドなどを使いテントの未来、理論などを解説、業界全体の発展に大いに寄与された。当時流行していた装飾テントのデザイン研究として本紙主催、東洋紡績後援で全国各地で研修会が行われた。講師は萩原建装社長・東洋紡デザインコンサルタントの萩原牧男氏が務め、プログラムは色彩をテントに活用する場合の考え方や職業別による点とデザインの考え方など。デザイナーとしての観点からの初めての研修会ということで多くの参加で賑わったという。問屋系では俣野㈱が法律全般、経理全般、経営全般、企画・設計全般、構造力学全般の相談ができるコンサルティングルームを設けたのもこの年のことであった。
 そうした好調な業界に水を差す規制も出された。建設省は「エアービルディング(空気膜建築)の施工」について、①エアービルディングの建築面積は一千㎡以下とすること、②地上に建築することに限る―の2点を通達した。それまでは、例えば屋上の季節限定のスケートリンクなどの要望に設営されていたが、この規制よって、そうした使い方ができなくなった。さらに一千㎡以下というとニーズが小さく、市場は完全に閉ざされたともいえた。なお、翌年に開かれた大阪万博に使われるエアービルディング関係は会場が防火地域・準防火地域に指定されていないため、特に規制の対象にはならなかったが、技術開発上の問題をクリアするため、二見秀雄教授(東京理科大)を委員長に、ニューマチック構造物研究委員会が立ち上がり、大型テントの燃焼実験なども行われた。
 おりしもこの年は博覧会ブーム。2月にタカラ商会(大阪)が8月に秋田で開かれる予定の「農業大博覧会」のテント(農機・モーターショウ、レストラン、無料休憩所など)約8900㎡を受注した。また、3月20日~5月18日に開かれた佐賀博では、小川テントがサーキノ館、太陽工業が子供の国のお城を設営、4月6日から2ヶ月の会期で徳島公園一帯で開かれた四国博覧会では地元の中山装備㈱が売店27箇所、パビリオンの四国開発館など約2千mの反物を使い設営した。
 この時代、宣伝物や看板というとまだ、ベニヤ板やブリキが主流であったが、8月12日から14日に香川・高松の「高松まつり」では、石原テント商会が舞台ヤグラや宣伝タワー、宣伝アーチなどにテント生地を使用した構造を提案、設営した。取付・解体が簡単なことから採用されたが、既存の天幕市場から新しい市場への展開として注目された事例でもあった。
 組合関係では5月24日に開かれた日帆連通常総会で、新会長に友永勝氏(大阪テント)が選出された。また、東京都テントシート工業組合の第3回通常総会が28日に開催され、新理事長に馬場可一氏が就任した。12月7日鹿児島県帆布製品工業会設立総会が開かれが、松田真幸理事長の下、会員16名でスタートした。
 新製品ではプラスチックの「エルボ」とパイプを組み合わせた装飾テント用パイプ枠「デコー」が、山一商事㈲より発売された。㈱津田商店はテイジンと東洋リノリュームが共同開発した第三の床材「O・I・C」の販売を開始した。当時、合繊帆布は縫製加工の際、目どめ作業を必要とした。小さな作業場ではできないため、道路上まで広げての作業も多く、さらに刷毛で塗布するという非近代的な作業を要した。また目塗り液もその品質はメーカーによって差異があり、度々クレームの対象となった。そこでユニチカは目どめ不要のビニロン帆布を開発、販売を開始している。そのほか、この年の新製品として注目を集めたのが敷島カンバスの「シェルター」帆布。綿とビニロンを交撚糸で織り上げ、染色と防水加工は英国の技術を採用、パラフィン防水より防水性があり、樹脂防水より通気性のある同生地を主にトラック幌やシートに利用された。旭化成は岩谷産業と提携で電動式で伸縮する簡易倉庫「アイシィハウス」を発売した。
 10月1日、ニチボーと日本レイヨンが合併し、ユニチカ㈱(坂口二郎社長)が誕生した。11月1日、小川テントの江刺工場が落成した。訃報では1月30日、㈱豊理商会の横山幹雄社長が56歳の若さで、10月14日関西帆布化学防水布の岩堀滋氏が36歳の若さで他界されたの。また、3月20日、東京・板橋区仲宿において、鹿島建設が地下鉄6号線工事を行っていたところ、ガス漏れが起こり、それが引き金にガス爆発が起こり石井テント・石井悠司社長一家5人が死亡する痛ましい事故が起こった。

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