産繊新聞社

昭和45年

昭和45年

社会での出来事
 3月31日、羽田発福岡行日航旅客機「よど号」が赤軍派学生ら9人によって乗っ取られた。4月3日、山村運輸政務次官が乗客全員とスチュワーデスの身代わりとなって平壌に飛び、犯人を残して羽田に帰着した。日本でのハイジャック第1号で、教訓として同年6月に航空機の強取等の処罰に関する法律(ハイジャック防止法)が制定された。犯人グループは2人が逮捕、その他数名が北朝鮮で病死したほか、今なお数人が暮らしていると見られている。
 この年公害が社会問題化しており、8月には静岡県田子の浦でヘドロ追放の抗議集会が、11月29日には初の公害メーデーが開かれ、82万人が参加した。変わったところでは東京・銀座に「酸素自動販売機」が登場したのが7月のこと。50円玉を入れるとマスクで1分間3000ccの酸素が吸えるというもので、光化学スモッグ対策に設けられたものである。
 1月7日に戦前の「喜劇王」と呼ばれたエノケン(榎本健一)が病死した。4月10日、ポール・マッカートニーがイギリスの大衆紙でビートルズからの脱退を発表。5月8日に最後のLP〝レット イット ビー〟が発売された。4月16日に日立製作所がLSI(大規模集積回路)を開発、5月11日に植村直己と松浦輝夫両氏が、エベレストに初登頂した。また、6月に入ると政府が、日米安保条約の自動延長を声明、これによって全国で安保反対統一行動が繰り広げられ、77万人が参加した。日本初のファミリーレストラン・すかいらーく国立店が開店したのがこの年の7月のこと。また、大阪万博に登場した「ケンタッキー・フライドチキン」が人気となり、11月21日に名古屋に第一号店がオープンした。8月2日に東京銀座などで歩行者天国を実施、公衆電話の市内通話が10円で3分となった。
 「死神です。あなたのところで止めると必ず不幸が訪れます」という「不幸の手紙」が全国に広まったのが、この年の11月のこと。また、11月25日に三島由紀夫と楯の会の会員4人が東京の自衛隊東部方面総監部に乱入、三島ら2人が割腹自殺する、いわゆる三島由紀夫事件が起こった。
 歌謡曲では黒ネコのタンゴ(皆川おさむ)、ドリフのズンドコ節(ザ・ドリフターズ)、圭子の夢は夜ひらく(藤圭子)などがヒット、TVでは「樅の木は残った」(NHK)、「細うで繁盛記」(日本テレビ)、「時間ですよ」(TBS)が放映され人気となった。そのほか自動販売機がこの年100万台を突破、電電公社(現・NTT)はキャッチホンを発売、キヤノンも普通紙にコピーできる国産初のPPC複写機をこの年発売している。またチャールズ・ブロンソンのテレビCMで「マンダム製品」が爆発的にヒットした。
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業界での出来事
 中国より輸入していた防炎加工剤の原料であるアンチモンが前年比の倍以上と高騰し、正月早々より防炎の加工費値上げが話題となった。染色防水加工業者はこの対策に苦慮していたがその後も値上がり傾向が続き、加工業者が窮状を関西重布会に訴えた。関西重布会もこれを了承し、各地の縫製加工業者に説明をしに回った。値上がり幅はメーターあたり15円、このうち5円はメーカー側が負担し、最終的に10円の値上げで一応の了解を得た。
 3月14日から「人類の進歩と調和」をテーマに、大阪府吹田市の千里丘陵で日本万国博覧会がスタートした。入場者は目標を大きく上回る6422万人(外国人170万人)、当時はまだ外国人と接する機会が少なかったが、このイベントによって日本の国際化が一気に進みだした。この大阪万博はテント業界にとって飛躍の契機でもあった。エアードーム方式のアメリカ館、エアービーム方式の富士グループパビリオン、ニューマチックストラクチャーの電力館別館、ディスプレイ建築として有名になった電気通信館、サスペンション方式の日本自動車工業館、そのほかにもゲートやマッシュバルーンなど現在の膜構造技術の基礎はここで出来上がったといっても過言ではない。
 「テントの花が咲いた」と喧伝され、最終的に6422万人(外国人170万人)が来場した日本万国博覧会(大阪万博)が9月13日に閉幕した。これからの可能性が期待された膜構造建築であったが、やはり仮設という世間一般の認識は変わらず、ここから恒久建築物への進化を目指して日本膜構造協会設立の気運が高まっていくのである。ちなみに全日本重布新聞の昭和45年8月25日号には「万博のパビリオンに買い手」という記事が紙面を踊った。富士グループパビリオンには、アメリカのサーカス団から、せんい館の映像ドームはフランス人からオファーがあったというが、この商談がまとまったかどうかについてはわからない。
 昭和44年頃より仮設のジャバラ式倉庫が人気となり、太陽工業、岩谷産業、安永理研といった企業が発売、この頃はまだ、ジャバラ式ハウスは建築基準法に縛られなかったため、自由な商売ができた。太陽工業が発売したジャバラハウスは月60~70棟とコンスタントに売り上げていたが、さらに大型の間口10m~11m、高さ5mタイプを9月に発売、大型トラックが出入りできる大きさが受け、さらに販売を伸ばしていった。
 新製品では4月に中央発条より、電動式巻上機「テンター」が発売された。特長は小型軽量で間口9m、出幅1・5mまで対応、チェーン式巻上、ハンドル式巻上に比べ、省力化が図れることから、各問屋が扱い、各地で説明会が行われた。また、帝人は織物タッチのテトロン生地「アストロ」と大型テント用の膜材「テンピー」、東レが透光性のある「ルミナステント」、東洋紡は「キャバナ・ダイナック」を上市した。。
 2月16日、平岡織染の本社社屋が竣工、落成披露パーティーが開かれた。また、3月7日に広島の徳安テント製作所が、4月23日には兵庫の大誠工業が新社屋の披露パーティーを開催した。高島が55周年記念式典を東京は10月2日帝国ホテルにおいて、大阪は10月8日ロイヤルホテルにおいて盛大に開催した。また、9月末に細川産業の本社ビルが完成し、10月2日に取引先関係者を招き落成パーティーを開いている。大分・別府市の川本テント装備も新社屋を竣工、11月1日に披露パーティーを開いている。組合関係では、岩手県帆布製品工業会と佐賀県帆布製品工業会が誕生、岩手は鈴木芳孝氏が、佐賀は佐伯磯治氏が初代理事長に就任した。また、熊本県帆布製品工業会は、2月1日に熊本県の平島温泉において総会を開催、その中で美術テントコンクールの入賞者を発表、特選には光洋テントの作品が選ばれた。神奈川県天幕雨覆工組がテント写真コンクールを開催、特選には日本帆布工業、金賞は大木屋商会、銀賞は三春シート、銅賞は東亜テント商会がそれぞれ受賞した。
 昭和45年は訃報も相次いだ。6月に㈱大誠工業の駒川光雄社長、㈱武シート商会の武新十郎社長が逝去された。6月24日、倉敷レイヨン㈱は㈱クラレに社名変更した。
 順風満帆に思えた日本経済であったが、前年9月に実施された予防的金融引き締めで大型景気(いざなぎ景気)は下半期に入るとストップし、景気は後退局面に入り、上昇一途であった卸売物価も下期には低落しはじめた。

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