産繊新聞社

昭和46年

昭和46年

社会での出来事
 5月14日、全国を震撼させた性犯罪事件の犯人・大久保清が逮捕された。画家を自称し「絵のモデルになってくれませんか?」と片っ端から女性に声をかけ、8人の女性を暴行・殺害したこの事件(大久保清事件)は戦後の猟奇犯罪として語り継がれている。また6月5日、「2000円がすぐ100万円になる」という触れ込みで全国から会員を集めていた、熊本に本部を持つネズミ講組織「第一相互経済研究所」に国税庁が強制調査を行った。会員数は70万人、集めた金は1900億円にも達していた。ひとつは日本の犯罪史上もっとも残虐な性犯罪であり、もうひとつは今でも多く発生する経済犯罪のハシリ。現在発生する多くの犯罪と重なる部分もあり、犯罪史学的には、この昭和46年はひとつの転換期として捉えることができるかもしれない。
 7月3日に東亜国内航空「ばんだい号」が函館郊外横津岳に墜落(68人全員死亡)、7月30日には岩手県雫石上空で全日空機と自衛隊機が衝突する航空事故(162人死亡)が立て続けに起こった。「ニアミス」という言葉もこの年に生まれている。7月17日に江夏豊が、プロ野球オールスター戦で九連続奪三振を記録、7月20日に東京・銀座にマクドナルドの一号店が開店した。9月18日には日清食品がカップヌードルを発売、当初は販売区域を東京都区内に限定し、夜勤が多い職場をターゲットにしたが、11月には銀座の歩行者天国で販売を開始、若者を中心に人気を呼んで熱狂的に支持されるようになった。11月には映画会社の日活がロマンポルノ路線の第一弾「団地妻昼下がりの情事」など二本を封切、12月に入るとインドとパキスタンが全面戦争に突入した。
 歌では「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)、「水色の恋」(天地真理)、「空に太陽がある限り」(にしきのあきら)、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「よこはま・たそがれ」(五木ひろし)、「あの素晴しい愛をもう一度」(北山修)、「わたしの城下町」(小柳ルミ子)、「おふくろさん」(森進一)がヒット、TVでは「新婚さんいらっしゃい!」が1月より放送を開始した(現在も放送中)。新婚カップルのなれそめから日常生活、「夜の話」まで告白するぶっちゃけトークがお茶の間の人気となった。ちなみに司会は桂三枝の印象が強いが、放送開始時は月亭可朝であったことはあまり知られていない。
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業界での出来事
 いざなぎ景気が終わった日本経済は、給与・賞与の伸びが低下するなど個人消費が大幅に鈍化していた。春闘を中心にストライキが多発したほか、経済社会情勢の変化を反映して、政策転換の要求がみられだした。8月15日、アメリカのニクソン大統領が打ち出したドル防衛策によって、欧州の主要為替市場は1週間閉鎖され、市場再開後も為替相場が大混乱した。8月末にはフランスを除く主要国はすべて固定相場制から離脱、12月のスミソニアン協定で1ドル360円から308円交換レートが改定された。
 世界経済が深刻な衝撃を受けたこの経済政策の余波は繊維業界にも及んだ。ニクソンのドル防衛策には「金とドルの交換の一時停止」、「価格政策(90日間の賃金・物価凍結)」のほか、「10%の輸入課徴金の導入」というものがあったが、当時、繊維のアメリカ向け輸出は5億6千万ドル(昭和45年実績)に及んでいて、全世界の繊維輸出額の20%を占めていた。メーカー側は10%の輸出課徴金制度の採用が、輸出にどのような影響を及ぼすか諮りかね、その心理が雇用に影響、東洋紡績は5カ年計画で従業員を半減、東レも新卒者の採用を従来の半分にする方針を打ち出した。合繊大手の9月決算は予想を上回る減益となった。ただ、不況だといってもテント業界はまだ、新しい市場への展開が可能で、今とは比較にならないほど元気な時代であった。
 こうした中、一部のテント企業で住宅市場への展開を模索する動きが起こった。洋風化と生活の質の向上から一般家庭においても日除けテントを取り付けたいという要望が上がっていたためである。ところがテント屋が取り付けるものはまだ、価格が高く、メンテのことを考えると一般家庭が簡単に買えるものでもなかった。こうした中、帝人が既製品の日除けテント「こかげ」を発売した。家庭の主婦でも簡単に取り付け・取り外しができるユニット型式のテントで、価格も120センチ幅で1万300円、150センチ幅で1万1千300円、180センチ幅で1万2千400円とリーズナブルな設定であった。その一方、当時製・販一体を掲げたテント業界では「商売を侵食するもの」という感覚の人も多く、業界内で少なからぬ軋轢が生まれた。
 5月に東京消防庁がビアガーデン、アーケード、その他日除けテントについて違法性のあるものは行政指導する旨を通達してきた。当時、日除けや軒先テントが流行していたが、法を遵守しないテント屋も多く、消防庁としては消防法・建築基準法の忠実な履行を促す狙いがあった。しかし、その内容は厳しくなる一方。当時の指針でアーケードについては柱、梁、筋違いなどの骨組みは不燃材、屋根は軽量な準難燃材以上の性能を持つこと、日除けテントを含めて消防活動上障害になる位置に取り付けないこと、ビアガーデンについては避難経路の確保と共に骨組みは不燃材、屋根は準不燃材の使用が義務付けられた。この規制はすぐに全国へ波及、11月13日に大阪府帆布工組が臨時総会、12月12日、日帆連が常任理事会を開き、この問題を審議した。
 建設省(現・国土交通省)及び消防庁が日除けテント施工の規制を強化した一方で、地方自治体では助成金を出して日除けテントの設置を促す動きも見られた(名古屋・道徳商店街)。名古屋市は当時、都市計画の観点で「美しい街づくり」運動を進めていたが、カラフルなテント地がこの運動に十分応えられるとの判断から助成金の対象となったもので、このときに通産省(現・経済産業省)ルートへ街づくりの観点でアプローチしていれば、行政側のテントの認識が今とは違ったものになっていた可能性もある。
 師走の12月12日、東京渋谷の東急百貨店は、建物全体を布で覆うビルラッピングを実施した。縦25m、横50m(生地・綿布葛城の白地)。その大きさだけでなく、歩行者が度肝を抜かれたのは、そこに描かれた内容。師走のこの時期は、クリスマスを意識したサインが定番であるが、東急百貨店は女性のヌードをモチーフにするという大胆な手法を採用した。絵は有名なグラフィックデザイナー・横尾忠則氏が担当、当時はインクジェットがなかったので東宝撮影所を借りて手書き看板の手法を用い制作していったという(施工・東京タカラ商会)。
 組合関係では名古屋帆布製品商工会と香川県帆布製品工業会が発展的解散、新たに愛知県テントシート協同組合と香川県帆布製品工業組合が設立された。初代理事長に愛知県は村山賢治氏(㈱村山商会)、香川県は石原伊佐男氏(石原テント商会)が就任した。また、日本帆布製品工業会連合会では、第11回通常総会を開催し、新理事長に山口三代一氏(日本帆布工業㈱社長)が就任した。
 訃報では10月2日、かねてより入院療養していた高島㈱会長・高島幸太吉氏が逝去、享年83歳であった。10月11日、東京・築地本願寺で執り行われた葬儀には全国から三千人を超える人が参列、故人の遺徳を偲んだ。11月15日の秋の褒章で関西帆布化学防水㈱の岩堀政治郎氏が藍綬褒章を受章、天皇陛下に拝謁した。12月1日、東洋ホテルにおいて盛大な祝賀パーティを開いた。

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