産繊新聞社

昭和49年

昭和49年

社会での出来事
 第一次オイルショックが前年10月に起こり、12月には石油緊急事態宣言が出されたが、越年した昭和49年1月16日、電力・石油の消費規制が始まった。国鉄は昼間の暖房を停止、百貨店は照明を間引き、ネオンサインが消え、NHKも23時で放送が終了する事態となった。また、買い占め騒ぎに対応してトイレットペーパーの標準価格を閣議で決定した。2月に入ると衆議院予算委員会で、物価問題などが集中的に審議された。また石油危機、物価高騰、便乗値上げによる悪性インフレに抗議して、4月に国民的な規模で春闘が展開、11日、12日に国鉄、私鉄が全面的な48時間の交通ゼネストを行い、日本列島の交通機関がマヒした。
 日本はそれまでの高度成長経済から初めてマイナス成長を経験、下期に入ると物価は、従来にない強力な総需要抑制策の効果が浸透したこともあって、次第に鎮静化の方向に向かったが、年度平均の物価上昇率は卸売物価23・4%、消費者物価は21・8%の二桁上昇となった。結果、消費需要の減退を招くとともに、在庫調整等が重なったこともあって、不況の規模はこれまでになく大きなものとなり、子会社を併せ622億円の負債(当時最大負債)で倒産した日本熱学工業など主に中小企業ほど業況が悪化した。
 日本テレビがユリ・ゲラーの超能力を放映したところ、その反響の大きさで電話が殺到し、交換機がパンクする事態が起こった。北海道の広尾線「愛国~幸福」間の切符が、幸せを招くお守りとして人気を集めるようになった。また、3月に銀座の歩行者天国で女性ストリーキング(アメリカ人高校生)が出現し、さらに12日はフィリピン・ルパング島で救出された元日本兵小野田寛郎氏が帰国した。5月15日は東京・江東区でセブン・イレブン一号店が開店した。8月28日、平塚市の団地で〝ピアノがうるさい〟と階下の子供2人と母親が殺害された「ピアノ騒音殺人事件」、8月30日には束京・丸の内で8人が死亡、376人が負傷する「三菱重工ビル爆破事件」が起こった。政治では佐藤栄作前首相がノーベル平和賞を受賞するうれしい出来事があった反面、立花隆氏が「文藝春秋」11月号の中の「田中角栄研究―その金脈と人脈」で、現首相の闇を暴いたことをきっかけに田中角栄首相が退陣した。 
 ヒット曲では「薔薇の鎖」(西城秀樹)、「学園天国」(フィンガー5)、「あなた」(小坂明子)など、ヒット商品では電気もちつき機(東芝)、蛍光ラインマーカー(トンボ鉛筆)、紅茶きのこなどがブームとなった。
 そのほか長嶋茂雄が引退を発表したのがこの年の10月14日のこと。テレビでは「寺内貫太郎一家」、「鳩子の海」などが視聴率30%を越える人気番組に。アニメでは秋より放送が始まった「はじめ人間ギャートルズ」や「宇宙戦艦ヤマト」、映画では「華麗なる一族」、「エクソシスト」などがヒットした。
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業界での出来事
 石油ショックによって存亡の危機に立たされたのが、染色防水加工業者であった。染料、薬剤、重油など染工場が必要とする資材の大半が影響を受けたが、コストの高騰を抑えながら、しかも入手困難な材料をどう手配していくかが大きな壁となった。しかし、最終的にはコストの高騰は抑えきれず、重布会及び日帆連に援護射撃を要請、価格改定とともに、取引条件についても従来の手形期日にこだわらず全面的に60日金利付、或いは品種によって月末現金の条件を強行したのである。
 前年秋まで逼迫していたテント業界の労働力需給は、オイルショック後、急速に緩和されていった。雇用情勢の変化は所定外労働時間の低下にも反映され、主に製造業で残業カットが行なわれた。業界内でも人手が余りだし、求人を手控える企業が続出した。また、この頃から週休二日制が大企業を中心に実施されだし、業界内でも商社がまず始め、問屋でも検討されだした。 市況としては養生シートの販売量がこの年、大きく落ち込んだ。土木関連は比較的堅調だったが、建設受注は前年比で10・1%減、特に住宅分野は7月、前年同月比27・2%減と大きな落ち込みを示した。これに伴い、建設資材は30%以上売り上げを落とし、養生用シートも前年比で20%以上の販売減となった。また、政府の総需要抑制策によって貨物輸送量が減少、さらに金融引き締めに伴う荷主の支払い条件悪化で、中小トラック運送業者が痛手を受け、1月から7月で全国で170事業者が倒産、幌・シートとも大幅に販売減となった。
 2年前より日本クロスと宮帆実業との間でフランス・フェラーリ社製のエストロイルテントが輸入されていたが、石油ショックの国内産合繊テント地の値上げによって、海外製品と国内製品との価格差が小さくなり、さらに色彩やデザインで有利な面があったことから急速に売れ行きを伸ばしていった。2月に業界向けにデモンストレーションを開催、更にフェラーリ社が大手取扱商社をフランスに招待する企画も実施したことから、業界内で大きな話題を提供した。
 石川商工㈱のセイフティV・S救助袋がこの年、台湾へ輸出されることになり、1月14日、台北市仁愛路にある老爺大楼で実演、消防関係者、警察関係者、報道関係及び政府関係者に紹介された。台北市内は高層ビルの建築ラッシュであったが、火災避難対策として救助袋の設置が進んでおらず、日本の技術が注目され採用となった。テレビや新聞などニュースとして大きく取り上げられた。
 厳しくなっていた屋外広告物規制で、店舗の軒先テントで明らかに日除け目的とわかるものを除いて、看板らしき形態を有するものや、大きく記載された文字や図案を有するテントが、規制の対象となるケースが増えてきた。自治体によっては、ペナルティーをオーナー側に求めるところもあり、また講習会修了者を1名置かないと営業ができない自治体も増えてきた。
 太陽工業は生コンに代わる「ドライコンクリート」の大量輸送・ミキシングシステムを開発、建設省(現・国土交通省)に建設機器としての認可を申請した。テント地を素材とする「Mタフコン」にセメントや砂利を乾燥したままの状態で詰め、現地で水や空気に触れさせる方法であり、ミキサー車による生コン輸送より、重量効率が高いことが特徴。しかもミキサー車は時間が経つと固まる恐れがあるが、同工法はドライのため、心配は皆無。アメリカでは普通に普及している工法であったが、日本ではやっと、実験・検討に入ったところであった。
 新製品では太陽工業がテント式の冷蔵庫を、マルニ工業はターポリン基布の補修材「ビニパッチ修理セット」を、要産業はユニット式テント「パーゴラKS15」を、矢野テントは自転車置き場用テント「ソフトライン」を発売した。テント地では旭化成工業がガラス繊維の基布に難燃コーティングをかけた「ストローム・テント」を発売、さらに泉は従来のテトロンテントに加えて、花柄、すかし柄を取り入れた柄物テントの新製品「セビアン」を発売した。そのほか新興産業は移動式簡易組立倉庫「ローラーハウス」を、元木ミシンは半自動式ハトメ打機を開発、山本ビニターは熱風式溶着ミシン「ビニターHAミシン」を発売した。
 業界関係では大一帆布が創業50周年の祝宴と片山秀男社長の金婚式の祝宴が開かれた一方、訃報も相次いだ。この年の2月17日、俣野㈱の俣野守一郎社長が、3月6日にはツダ㈱の真田潔社長と続けて関西重布会の大物が亡くなられた。次々に帆布の新製品を生み出し、帆布界に俣野ありと異名を轟かした守一郎氏、誠心誠意のサービスをモットーとした潔氏の逝去は、業界にとって大きな痛手であった。組合関係では東中国テント工業会の第10回総会が10月6日に開かれ、津山テントの河野氏が新理事長に就任した。

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