産繊新聞社

昭和51年

昭和51年

 2月6日の米上院外交委多国籍企業小委公聴会で、ロッキード社が大型ジェット旅客機「トライスター」販売にからみ、日本政府に巨額の工作資金を流したと明らかにされた。「ロッキード事件」である。ロッキード社のコーチャン副会長とクラッター元東京駐在事務所代表は、公聴会で同社の裏の代理人的役割をしていた大物右翼児玉誉士夫に「コンサルタント料」として21億円あまりが流れ、さらに児玉から国際興業社主の小佐野賢治や、ロッキードの販売代理店である丸紅を通じ、前内閣総理大臣の田中角栄に対し5億円が密かに渡されたと証言した。7月8日に若狭全日空社長が、13日に槍山丸紅前会長がそれぞれ逮捕された。捜査は政界におよび、27日には、田中角栄前内閣総理大臣が逮捕された。
 1月31日に鹿児島で日本初の五つ子が誕生、2月4日第12回冬季オリンピック・インスブルック大会が開幕した。6月27日にアントニオ猪木とモハメド・アリの格闘技世界一決定戦が開かれたが、「今世紀最大の退屈試合」と揶揄された。7月17日、第21回オリンピック・モントリオール大会が開幕した。ルーマニアのナディア・コマネチが女子体操で10点満点を連発したのがこの大会。しかし、この大会は大幅な赤字を計上し、モントリオール市はその後返済のために税金が投入しなければならない事態となった。またアフリカ諸国の22カ国が、当時アパルトヘイト政策を採っていた南アフリカにニュージーランドが選手を派遣したことに抗議して、大会をボイコットしたことでも有名である。10月、日本ビクターがVHSビデオを発売、ソニーのベータマックスとの規格競争に勝ち、家庭用ビデオで業績を伸ばしていった。10月11日、巨人の王貞治選手が対阪神戦でベーブ・ルースを抜く715号本塁打を放ち、この年前年度最下位だった巨人がセ・リーグで優勝した(日本シリーズで阪急が優勝)。
 ヒット曲では「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)、「およげ!たいやきくん」(子門真人)、「春一番」(キャンディーズ)、「なごり雪」(イルカ)など。東急ハンズが設立されたのがこの年の8月、9月にはいると「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が週刊少年ジャンプで連載を開始した。9月1日「志村けんの全員集合 東村山音頭」が、11月にピンクレディーの「S・O・S」がそれぞれリリースされた。
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 昭和51年の景気は、輸出の急増もあって回復のテンポは速まったが、半ばから中だるみ状態に入った。企業の収益水準は低く、労働力需給の緩和が引き続く厳しい経済環境であった。また、夏場以降、鉱工業生産が伸び悩み、企業倒産件数が高水準で推移した。合繊大手メーカーはナイロン、アクリル、ポリエステルの3大合繊を引き続き減産した。その一方、綿紡業界は、パキスタン綿が同国の洪水で輸入量が減少したこと、また日本では空前のジーンズブームが起こっていたことがあいまって、太番手綿糸の価格が高騰し、帆布の価格が上昇した。
 日本の伝統的な治水・治山の工法として、直径数センチ程度の細い木の枝を集めて束状にした資材「粗朶(そだ)」を利用する「粗朶沈床工」及び「粗朶単床工」などがあったが、昭和50年代に入ると粗朶の材料として「ヤナギ」などの枝から「ポリエチレンシート及び金網」に切り替わってきた。いわゆる「ジオテキスタイル」の始まりである。中心となったのはオランダからの技術。国土の30%が海面下の同国では、①水中不変性、難腐敗性、柔軟性、伸縮性といった特長から最先端の技術が開発されていた。旭化成が本格的に受注活動に入った「ソルコマット工法」は、合繊マットにコンクリートブロックを特殊接着剤で貼り付けたもので、やはりオランダで誕生した技術であった。
 昭和51年はアメリカが建国して二百年を迎えた年。日本でも大阪・吹田のエキスポランドでアメリカ博が開かれたが、そのメーンとなった「大西部開拓史展」会場は矢野テントのクリスタルマーキー2基で作られた(20×54×H8・5m)。
 この年、大阪府帆布製品工組と日帆連の対立が表面化し、大阪工組の連合会脱退のニュースが駆け巡った。会費の値上げに端を発した対立であったが、そもそも値上げに対しては大阪工組も賛成の立場を取っていた。ただ、大阪側は、値上げによって拠出される資金の使い道が明確でなかったことへの不満とともに、値上げは地域の事情を加味して強い組合は負担を大きくすべきという主張であり、それに対して連合会側は均等に負担すべきという主張で、これが真っ向からぶつかる形となった。両主張とも業界を良くしようという考えからのことであり、時間とともにその対立は収束していった。
 各地域のテント組合は、任意の懇親団体から公認の工業組合、協同組合へ改組が相次いでいたが、問題となったのが運営資金の捻出。会費だけでは運営すべてをまかなえず、それぞれの組合規則にのっとり、共同購買事業を行なう組合が増えてきた。2月の初めに、近畿地域の某テント組合より、綿帆布200反の一括購入の引き合いが問屋9社に対してあったが、従来の流通機構の破壊に繋がることも予想され、生産者側のメーカーがこの件の撤回を求めた。ただ、生地に関しては撤回されたが、付属品の共同購買については現在も続けられている。
 新製品では旭ダウが、サランテントに続いてステンドグラス風の風合いを醸しだす「ステンドテント」を発売した。当時花柄のような柄物テントが人気であったが、同社はステンドグラスのような柄をデザイン、透光性もあったことからバックに照明を入れて夜間の装飾にも使われた。高島は、パイプがすべて折り畳み式の集会用テント「ハンディ・テント」を発売した。電動巻上機の「テントップ」発売元の加藤は、久保田と共同で自動停止式改良版「テントップ」を発売した。積水樹脂は建築工事現場での騒音を抑制する吸音・遮音効果を持った「ジスロン防音シート」を、㈱クラレと平岡織染は同じ用途で「サウンドシャッター」をそれぞれ開発した。また新潟のムラヤマ工業は、特殊な巻上装置により開閉がスムーズな軒出しテントアームを考案した。また、平岡織染は防水液・目塗液「ポリレン」を、三福商事は溶接の火花を防ぐスパッタシートを発売した。
 業界関連では、大阪工組に技能士会が創設されたのが昭和51年のこと。5月22日に開かれた福岡県帆布製品工業組合通常総会では、理事長に松岡博氏が留任、5月23日に開催された大阪府帆布製品工業組合第18回通常総会では、理事長に岡本富治氏、6月20日に開かれた熊本県帆布製品工業協同組合の通常総会では理事長に谷口勝利氏がそれぞれ就任した。7月4日、オイルショック以後の世の中の変化に対応するために企業のマネジメント力向上、多岐に亘る商品研究を目的に、東京天幕雨覆商工協同組合は青年部会を設立した。テントの強度についてユーザーから技術資料の提出が求められるケースが増え、若い人が主導となり組合単位で勉強会が開催されるようになった。京滋テント工業会青年部(川嶋利春部長)は、9月12日にヤマテンの島巻聖三氏を講師に、岡山県テント工業組合(瀬崎諒一理事長)は9月19日に諏訪恒之氏を講師に招きテント構造計算の勉強会を開いた。春の表彰関連では日東製帆(大阪)の浜上義雄氏、日本帆布工業(神奈川)の山口三代一氏がそれぞれの自治体より産業功労章を授章した。能村龍太郎氏は長年の膜面技術の研究が認められ科学技術庁より、紫綬褒章を受章した。
 訃報では1月16日に石川繊維(現・石川)の石川利男社長(享年61歳)、2月12日に北海道の村上繊維(現・ムラカミ)の村上和三氏(享年81歳)、5月11日、大川工業会長の大川浩八郎氏(享年73歳)、6月6日八千代産業社社長の福田清右衛門氏(享年75歳)など、業界の大物が亡くなった年でもあった。

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