産繊新聞社

昭和52年

昭和52年

社会での出来事 
 同年の1月、東京の品川駅付近の電話ボックスに置かれた青酸ソーダ入りコーラを飲んだ男子高校生と会社員が死亡する事件が起こった。その一ヵ月後に、大阪でも公衆電話に置かれたコーラを飲んだ会社員が一時重体となったが、一命は取り留めた。しかし、その会社員は退院した翌日にガス自殺するという奇妙な展開を見せた。結局犯人は捕まらず、平成4年に時効が成立している。2月14日に東京駅八重州地下街でも青酸化合物が入ったチョコレートが放置されるなど、類似の事件も起こった。
 建設にあたり空港用地内外の農民や近隣の騒音地域住民の反対運動の象徴であった三里塚の鉄塔が、5月6日撤去され、翌年成田空港が開港した。6月15日には和歌山県の有田市で集団コレラが発生した。世界ではアメリカ大統領にジミー・カーターが就任、ベトナム戦争徴兵を忌避した者に恩赦を与えたのが1月のこと。2月カナリア諸島のロスロデス空港でジャンボ機同士が衝突する事故が起こり、史上最悪の575人が死亡した。
 地方新聞で初めて「窓際おじさん」という言葉が掲載された。「定年間近の会社員が、第一線ポストから窓際に追いやられ、仕事をせずに新聞、雑誌を読むこと」という説明がついていたが、その翌年、日経新聞で「窓際族」という言葉が登場している。「高度成長期に採用された中高年社員のなかで、管理職から外され、オフィスの窓際にデスクを構えるミドルたち」という定義がなされたが、今ならすぐにリストラの対象。逆にうらやましささえ感じる言葉でもある。
 7月17日、キャンディーズが日比谷野外音楽堂でのコンサート中に突然の解散宣言、「普通の女の子に戻りたい」という言葉は流行語になった。8月16日にはエルビス・プレスリーが42歳の若さで死去、9月3日、王貞治(巨人)が通算756号ホームランを打ち、5日に国民栄誉賞を受賞している。9月27日に日航機がクアラルンプールで墜落、33人が死亡する事故が起こった。
 日劇ダンシング・チームが41年の歴史に幕を閉じた。4月には雑誌の「クロワッサン」が創刊、またタバコの「マイルドセブン」が6月発売された。「青春時代」(森田公一とトップギャラン)、「失恋レストラン」(清水健太郎)、「津軽海峡冬景色」(石川さゆり)、「イミテーション・ゴールド」(山口百恵)、「冬の稲妻」(アリス)、「あんたのバラード」(世良公則&ツイスト)、「UFO}(ピンクレディー)などがヒット、カラオケが全国的にブームとなり、その後「カラオケ公害」という言葉も生まれた。流行語では「天は我を見放した」、「たたりじゃ」など。そのほか、ニューネッシー騒ぎやテレビゲームが全国で流行った。
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業界での出来事
 昭和48年のオイルショックで不況に陥った日本経済は昭和50年頃より、景気回復過程へと入り、この年はその3年目であった。公共投資の拡充に伴って政府投資が増加、また前年に引き続き輸出の伸びは大きくなったものの国内民間需要の盛り上がりが乏しく、景気回復は緩やかなものであった。下半期に入ると年初は1ドル292円80銭であった相場が10月14日には、253円の市場最高値を記録し、年の最後は結局240円まで円高が進んだ。「今後円高がどこまで進むのか」。企業に戸惑いと警戒感が強まったことで、企業の経営姿勢は一段と消極的になり、 雇用の調整や金融費用の圧縮など減量によって企業体質を強化しようとする動きが強まった。政府は公定歩合の引き下げや多額の公共事業追加を柱とする総合経済対策を実施したが、企業マインドの好転まではいかず、景気の停滞感は一段と強まり、倒産件数は高水準で推移、12月には中小企業倒産防止共済法が公布された。
 繊維産業はいわゆる構造不況業種のひとつとして捉えられ、生産・雇用面で停滞が目立っていた。需要と供給とのバランスが崩れていた合繊・紡績業界は通産省からの指導もあり、過剰設備の円滑処理を目的とした不況カルテルを検討、綿紡業界は過剰設備処理と雇用調整給付金制度を活用した一時帰休を実施した。綿織産地では大規模な設備廃棄が続き、東洋紡績、ユニチカ、敷島紡績など大手紡績メーカーも過剰な紡績設備対策に乗り出した。ただ、すべてのメーカーが過剰設備対策に積極的だったわけではなく、合繊構造改革に行政が介入して操業短縮を指導する事態となった。一方、合繊業界は、具体的内容の詰めで各社の足並みが揃わずカルテル実施を断念、旭化成、鐘紡、東レなどは高付加価値素材開発に力を入れていった。
 不況に陥るとどうしても犯罪が増えるのが常。業界でも従業員募集の張り紙を出しているテント屋に面接に来た者が交通費の前借りを申し入れそのままドロンするケースが多く発生したほか、テント屋の名前をかたった者が、商店のテントを受注、前受金をせしめ、姿を消す犯罪も見られた。また、国際見本市振興会という名前で全国のテント業者に「優良テント業者認証と金字プレートをあげます」という案内と1万5千円の送金依頼のハガキが届いた。団体は国際見本市協会とは一切かかわりがない架空の存在。特定の業界を狙った詐欺行為がこれだけ頻繁に起こったのは珍しいといわれ、逆に言えばまだテント業界が他の業界に比べて景気が良いと見られていた証でもあった。
 テント生地も不燃の時代へ―旭化成工業の子会社であった旭化成トレードサービスは、研究開発を続けてきた不燃テント「ストロームテント1000」を発売した。屈折に強いガラスクロス(旭シュエーベル製)に倉庫精練の特殊コーティング技術を採用、当時では風合いがソフトでありながら寸法安定性、強度、防水性、透光性を有していたことからバス停や百貨店のテントなどに多く利用された。三重県鳥羽市の浜口計器工業(現社名・㈱ホーペック)は、グラスファイバーで骨組みを作った簡易式ハウス「プラハ」を開発した。同社は日本ではじめてグラスファイバー製の釣竿を開発したメーカーで、その技術をテントに応用、当時としては画期的な製品であった。
 新製品では東洋繊維がトスコットテントに無地8色を発売、マルニ工業はシート・幌の補修材としてホロパッチを開発、三恵ミシンパイオニアを通じて発売した。1月6日の東京消防出初式に太陽工業が開発した飛行船・NR1010号が登場、消防局のテーマである「災害に強い都市を目指して」をPRした。ツルハシテントは3月にオープンした岸和田青果市場にヤマテンが発売するスプリング・コーニッシュを37台施工した。
 大阪テントは10月5日から東京・晴海の見本市会場で開かれたアミューズメント・マシンショウに直径5mの傘が自動的に開閉する「ジャンボレラ」を出展、遊園地や百貨店屋上遊技場関係者の注目を浴びた。
 俣野㈱とシィ・ピィ・シィは共同で若者向けに第一回テントセミナーを開催した。基調講演(吉野昭夫氏)のほか、話し方講座、パース図面の描き方講座、テントの模型による裁断・縫製の実技など1泊2日の合宿形式。取引先120名が受講した。
 業界では、高知県帆布製品工業組合が県より正式に公認され、5月21日、ホテル土佐御苑において発会記念式典を開催した。日帆連の第17回通常総会が5月27日に東京・京橋会館で開催され、役員改選で兵庫工組の石上潔理事長が連合会新理事長に選出された。また、奈良県帆布製品協組は、6月23日~27日の5日間、橿原神宮大鳥居前広場においてレジャー用品展示即売会を実施した。三重県帆布製品工業組合の設立総会が9月8日、四日市都ホテルにおいて、兵庫県帆布製品工業組合の設立総会が12月8日、神戸・三ツ輪においてそれぞれ開かれ、法人組織として第一歩を踏み出した(初代理事長―三重・堀木義隆氏、兵庫・石上潔氏)。関西重布会は昭和27年12月設立から25年が経過、11月2日、大阪・本町の綿業倶楽部において設立25周年記念式典を、山本ビニターは10月21日、新社屋竣工と創立25周年を祝う記念式典を、泉㈱も11月22日、大阪ロイヤルホテルにおいて30周年記念式典を開催した。
 褒章では日本染色協会副会長で関西帆布化学防水㈱会長の岩堀政治郎氏が勲四等瑞宝章を、加藤船用品工業㈱の加藤政次郎氏が勲五等双光旭日章をそれぞれ授章した。日本帆布工業㈱(神奈川)の山口三代一氏が勲五等瑞宝章を授章、11月10日皇居に参内し、天皇陛下の拝謁の栄に浴した。
 訃報では㈱日の出テントの紀伊馬芳太郎氏が4月27日逝去された(享年92歳)。

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