産繊新聞社

昭和53年

昭和53年

社会での出来事
 成田の新東京国際空港が5月20日に開港するが、その直前に機動隊と過激派学生との間で様々な衝突があった。2月6日に機動隊が、成田空港反対派の鉄塔・要塞の撤去を開始した一方、3月26日には過激派学生が反撃、成田空港管制塔に乱入し機器を破壊、開港が延期する騒ぎが起こった。
 この年の2年前(昭和51年)、政界ではロッキード事件に端を発した「三木おろし」が起こった。ポスト三木として総理大臣候補に福田赳夫と大平正芳が争ったが「2年で大平へ政権を譲与する」という「大福密約」の元で大福連合を樹立、福田が首相に就任した。しかし、昭和53年の12月の自民党総裁選で福田は密約を反故にして再選出馬を表明、大平は福田に挑戦する形で総裁選に出馬した。当初は福田が優勢であったが、最終的に田中派の全面支援もあり第68代内閣総理大臣に大平正芳が就任した。この自民党内対立で衆参両院本会議が紛糾、国会史上初めて首相指名が持ち越される事態となった。
 東京・世田谷で清泉女子大学の女子大生が絞殺された事件で1月10日、第一発見者を装っていた警察官が逮捕された。犯人は昭和57年に無期懲役が確定したが、制服の警察官が勤務中に起こした事件として警察はマスコミ各社から糾弾を受けた。北沢署の署長は引責辞任、戦後初めて警視総監が処分を受けるという異例の事態となった。
 1月14日に伊豆大島近海地震が起こり、25人が死亡、6月12日は宮城県沖地震が起こり、28人が亡くなった。5月18日、新潟県妙高高原で土砂崩れが起こり13人が死亡するなど自然災害が多く起こった年でもあった。
 後半に入ると海外で多くの出来事・事故が起こった。7月25日、イギリスで世界初の体外受精児が誕生、試験管ベイビーと呼ばれたが、医の倫理や宗教の問題も絡み大論争となった。11月18日、南米ガイアナの密林でアメリカの新興宗教の信者900人余りが教租と共に毒を飲み集団自殺した事件やベトナム難民を乗せた船がマレーシアに上陸しようとしたところマレーシア政府に上陸を拒否され、その後に船が座礁、203人が水死した。
 そのほか竹の子族のルーツとなる原宿のブティック「竹の子」がオープンしたのがこの年の3月18日。4月4日、キャンディーズが後楽園球場でのコンサートを最後に引退した。4月6日に池袋の東京拘置所跡にサンシャイン60が開業、6月24日にはG・ルーカス監督の映画「スターウォーズ」が封切し映画館に行列が並んだ。秋のドラフトで巨人が江川卓投手と突如契約する「空白の一日事件」が起こった。また12月28日には俳優の田宮二郎が自宅寝室で猟銃自殺した。世相では「嫌煙権」運動やディスコブーム、ナンチャッテおじさんも話題に。ヒット曲では微笑がえし(キャンディーズ)、プレイバックPart2(山口百恵)など。TBSで「ザ・ベストテン」放映が開始された。
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業界での出来事
 昭和53年に入ると景気は次第に明るさを増してきた。有効求人倍率も前年(昭和52年)10月~12月を底として増加、政府による官公需の拡大及び企業の在庫調整が一段落したことが背景にあり、さらに物価の安定で一般家庭の先行き不安が軽減され、消費者心理が改善していった。ただ、為替市場では急激な円高が進み、1月、1ドル237円台だった為替が、7月のボンサミット後、24日には200円台の大台を割り込んだ。前年(昭和52年)1月の為替相場は、1ドル292円80銭で始まっているので、1年半で150円も円高が進んだことになる。その後も円高は続き、10月26日には175円50銭を記録、そのためにアメリカは11月1日にドル防衛措置を発表した。円高は、輸出競争力の低下を通じて、日本経済にデフレ的影響を与え、さらに数量ベースの輸出が減少し始め、景気回復にブレーキをかけた。
 産業構造の面からは多くの課題が浮き彫りになった。オイルショック後の成長の鈍化と相対価格構造、需要構造の変化、中進国の追い上げなど様々な問題に直面、従来の高度成長型、垂直分業型とは異なる新しい産業の展開が求められるようになってきた。綿紡業界は前年より不況カルテルを実施していたが、この年合繊業界でも同じく実施した。ただ、市況に明るさが見えてきたことで、設備の「廃棄」ではなく「凍結」で進んでいった。
 この頃から車社会に対応した郊外型のショッピングセンターが登場しだした。当時はモール型ではなく、屋外に子供のアミューズメント施設や休憩所、ステージ、テニスコートなどのレジャー施設を併設する形で「時間消費型」ショッピングセンターの先駈けで、現在のような建屋内部にアミューズメント施設を作る形ではなかったので、テントを使う場面が多くあった。そうした中で、愛知・春日井市に出来た西武系ショッピングセンターではお祭り広場にステージ用の400平方メートルの大テントや本館と駐車場を繋ぐキャノピー、休憩所のパラソルなどが使用された。
 業界を悩ませてきた道路占有問題で、神戸市が歩道上柱付テントを認める許可基準改正を行なったのは、この年の業界の明るい話題。道路管理上および美観上、様々な制限が付けられたが、商業施設のエントランス付近の雨除けテントが認められたことは、業界にとってプラスであった。ただ、これはあくまで一地方自治体の改正であり、全国的な動きにまでは繋がらなかった。
 この年の11月、社団法人日本膜構造協会が正式に発足した。昭和41年4月にテント構造研究会として発足、その後空気膜構造協会、日本膜構造協会と名称を改めながら10数年、膜の可能性を追求、途中大阪万博で膜構造は軽量で大スパン構造に適することが社会に認知されだしたことから、「膜構造の性能並びに施工技術の向上を図り、膜構造の安全性の確保と健全な普及発展を推進していく」ことを目的に設立されたものである。一方、業界の中では少なからぬ軋轢があった。当初、同協会メンバーはメーカーを含め12社で、施工業者は大手2社のみ。特に「テント倉庫」に関して会員でなければ施工できないのではないかという危機感から反発が起こった。
 文化シャッターが「文化ファッションテント」の販売を開始した。店舗用シャッターを通じて得た店舗設計のノウハウを元に開発した100ボルトモーターで自動開閉するテントだったが、商品名を「テンパル」といった。㈱テンパルの設立は1984年なので、このテントが発売された6年後にオーニングの国内トップシェア企業が誕生することになるのである。
 新製品では、平岡織染が立体的な模様によって太陽光やライトが透過することでシルエットを映し出すテント生地「ピラファン」を発売した。柄は「花束」「門扉」「つた」の3種類で、遊び心をもった新しい生地として注目された。三恵ミシンパイオニアは肉厚2インチのパイプも簡単に曲げられるパイプベンダーB―60型を発売した。その他、日除けテント金具「回転式エルボ」を石井金属製作所が発売、関西帆布化学防水㈱は、テント倉庫「フレックス」を開発し、物流・荷役分野に進出した。神奈川の日本帆布工業と菱和産資が開発した災害時や緊急時に飲料水を確保するための自立式ターポリン水槽「ウオーターバルーン」の需要が急増、飲料用タンクのほか山火事防火の中継ストックポイントや少量排水処理用ストックなどにも使われた。新製品では三恵ミシンパイオニアはライスター社の熱風溶着機「バリアント」を発売、東洋紡がエステルテントで不透明タイプのテント地「エミリオ」とエステルスパン糸を使用した織物の風合いを持つ「エストール」を発売したが、この頃は今に比べると同社もテント市場に積極的であったことが伺える。その他、月星産業が、流出油吸着剤「タフネル・オイルブロッター」を発売した。
 組合関係では、春の褒章で、兵庫組合と大阪組合の元理事長で業界の発展に貢献した須波義人氏(兵庫)と友永勝氏(大阪)に産業功労章が贈られた。5月12日に京都・東山の「豊楽荘」で開かれた京滋テント工業会通常総会で木村達男氏が新理事長に就任した。訃報では元高島㈱専務の高塚謹一氏が4月16日に逝去された。法人化が認可されたことで兵庫県天幕商工会が改組、兵庫県帆布製品工業組合の設立総会が7月18日、神戸駅前の料亭「三ツ輪」で開催された。香川工組が山本義男理事長(東テント商会)急逝に伴い理事会を開き、新理事長に大西照於氏(大西テント商会)が、東中国テント工業会は9月30日に総会を開き、理事長に水野勉氏(福山テント装備)がそれぞれ就任した。訃報では、大一帆布の片山秀男会長が7月6日、逝去された。

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