産繊新聞社

昭和54年

昭和54年

社会での出来事
 昭和54年は金融機関を襲った強盗事件が史上最多であった年。このうち1月26日に起こった三菱銀行北畠支店(大阪)の事件は極めて衝撃的なものであった。犯人は梅川昭美。猟銃を持って、40人を人質に龍城、警察官2名、行員2名の計4名を射殺した。特異なのが犯人・梅川の人間性で女性行員19名を裸にし『肉の盾』となるよう命令したり、また重傷の行員の耳を他の行員に切り取らせるなど、日本の犯罪史上、極めて残虐な事件であった。2日後の28日、梅川は射殺され事件は解決した。
 9月、日本鉄道建設公団の組織ぐるみの不正経理事件が暴露された。カラ出張、夜間・休日勤務もしないのにヤミで手当をつけるなどその実態は、「役人天国」と言う言葉に置き換えられ、国民から批判を浴びた。
 1月13日、国公立ではじめての共通一次試験が実施された。31日には、江川卓が阪神と入団契約した後、即日、小林繁とのトレードで巨人への入団が決まった。5月9日、日本電気がパーソナルコンピューター「PC―8001」を発表している。海外では3月28日、アメリカ・ペンシルバニア州のスリーマイル島で、原子力発電所が放射能漏れを起こした。
 7月1日、ソニーが「ウォークマン」第1号を発売、以後1億6000万台という驚異的な販売台数を記録し、若者の間で新三種の神器(他デジタルウオッチ、ローラースケート)と呼ばれた。また、12月には電電公社が、東京23区でセルラー方式の自動車電話サービスを開始している。その一方、松下電子工業はテレビの主要部品であった真空管の生産を中止、時代の流れを感じさせる出来事であった。また、牛丼の吉野家など外食産業が10兆円産業へと成長、12月には宮崎県でリニアモーターカーが世界新記録となる時速504㎞を達成した。そのほか、上野動物園のパンダのランランが9月4日に死亡、10月26日に韓国の朴正煕大統領が側近に暗殺される事件も起こった。
 流行語では「ナウい」「ダサイ」「シカト」「ニャンニャン」など。テレビでは「西部警察」(テレビ朝日)、「アイ・アイゲーム」(フジテレビ)、「3年B組金八先生」(TBS)などが人気となった。山口百恵が三浦友和との交際を宣言したのも昭和54年のことである。
 ヒット曲では「関白宣言」(さだまさし)、「ガンダーラ」(ゴダイゴ)、「いとしのエリー」(サザン・オールスターズ)、「燃えろいい女」(ツイスト)、「YOUNG MAN」(西城秀樹)、「よせばいいのに」(敏いとうとハッピー&ブルー)など。世相ではインベーダーゲームが大流行したほか、ぶら下がり健康器具がヒット、都市伝説として「口裂け女」が語られた。
―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―◇―
業界での出来事
 2月のイラン革命で同国の石油生産が中断、そのため同国の大量の原油を購入していた日本は需給が逼迫した。そのため第一次オイルショックに近い価格高騰が起こったが、第一次の経験、省エネ政策の進展、企業の合理化効果などで経済全体への影響は軽微なものだった。景気は、民間需要の盛り上がりと輸出の増加で、順調に拡大、実質経済成長率は6・0%もあった。一般の新規求人は前年比16・4%増と大幅に増加、年間の推移をみると、期を追って増加率は高くなり、前年同期比でみて1~3月の14・5%増から下半期の10~12月は18・7%増、現在で考えられない求人率であった。産業別では、製造業が25・1%増、続いてサービス業20・5%、運輸・通信業が18%増と続くがこの要因となったのが、ウオークマンやパソコン(PC―8001)など新製品の登場や移動体通信(セルラー電話)の登場。特に電気機器や一般機械などの加工組立型業種を中心に求人率の増加が見られた。
 その一方、素材産業である繊維関連は輸出の伸び悩みもあり停滞傾向。不況カルテルが一通り終わった合繊関連メーカーも通産省へ生産計画の提出義務が残ったこと、中低級品で中国との競合が激化してきたこと、第二次オイルショックによる合繊原料価格の値上げなどネガティブ要因から低迷期から脱せずにいた。そうした中、メーカー各社は付加価値製品への取り組みを加速させていった。帝人は芳香族ポリアミド系の耐熱繊維「コーネックス」を開発していたが、需要面で拡大が狙えることから月産50トンの生産設備整備に動いた。また、東レは炭素繊維「トレカ」の生産、販売に着手していたが、「アルミより軽く鉄より強い」というという特長で需要が増加、月産20トンまで生産能力を引き上げた。
 5月に大阪・住吉区のゴム会社でリフトの修理作業中、溶接作業中の火花が在庫製品に引火、7名の焼死者を出す大火災が起こった。リフト修理会社が溶接作業時に難燃シートの使用を怠ったもので、その後消防法が厳しくなる要因となった。また、高度経済成長のゆがみとして社会問題となったのが「騒音問題」で、これに対応して、東レは昭和51年に開発した鉛繊維と塩ビを組み合わせた遮音シート「防音材―FC」を展開すべくミシン縫製技術を持つテント業界とともに新しい販売チームが立ち上げた。
 新製品ではモリトが従来、アルミ製が中心だったハトメに、デザインテントに適したカラフルなポリアセタール樹脂製のハトメを開発した(全8色)。広野工業はパイプを利用した螺旋状の滑り台を開発、立川ブラインドは最大面積30平方メートルの電動ブラインドを開発した。平岡織染は高周波ウエルダー縫製用綿防水帆布「ドラゴン―U」を発売、綿帆布というとミシン縫製が一般的で縫製部からの雨の漏水が問題になっていたが、同商品はそうした問題を一気に解決するものであった。岸工業は乗用車のトランクにも入るコンパクト設計のパイプテント「ブルドッグ・スペシャルFタイプ」を発売した。そのほかテント倉庫など建築基準法第38条に基づく建設大臣認定が日膜協と日帆連の両団体に認可が下りた。
 業界では大阪府帆布製品工業組合は、3月25日に技能士会総会を開いたが、それにあわせて技能オリンピックを開催した。競技内容は固定式デザインテント製作と巻上式テントの製作で、8名の技能士が技術を競った。兵庫県帆布製品工業組合は法人組合としての第一回目の総会を5月21日、有馬グランドホテルにおいて開催、理事長に白石芳雄氏が就任した。東京都テントシート工業組合理事長の鎌倉重勝氏は春の叙勲で勲五等瑞宝章を受章、5月9日皇居において天皇陛下の拝謁の栄に浴した。膜構造、テンション構造など業界で新しい波が寄せてきた中で、テント技術や法律、経営学を学ぼうと有志が集まり、関西膜構造技術研究会が立ち上がったのがこの年。関西帆布化学防水は創立40周年を迎え、3月23日、本社において記念祝賀会を開催した。日本帆布製品工業組合(日帆連とは別)がテント倉庫問題を契機に設立へと動き、8月22日に産声を上げた。九州地方では初めての大分県帆布製品工業組合が7月28日に誕生、京滋テント工業会が任意団体から公認団体に移る上で分離、京都府帆布製品工業組合は9月4日、滋賀県帆布製品工業組合は11月13日に設立総会を開催し、初代理事長に京都は澤正作氏(稲垣テント)、滋賀は津田与一氏(島村商店)が就任した。また、秋の叙勲で㈲スナミ商店の須浪義宗氏が勲五等瑞宝章、㈱細野商店の細野博吉氏が黄綬褒章、吉田喜義商店の吉田喜義氏が卓越技能賞をそれぞれ授章した。
 訃報では、飯尾商店の飯尾義夫社長が1月29日に、昭和重布の湯浅政夫専務が4月6日、同じく昭和重布の三原恒次郎氏が7月11日に、羽成製帆所の羽成福太郎氏が10月12日にそれぞれ逝去された。

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional