産繊新聞社

昭和55年

昭和55年

社会での出来事
 自動車生産台数、粗鋼生産量共にアメリカを抜き世界で1位になった昭和55年。ダイエーは小売業として初めて年商1兆円を実現した。その一方、無軌道な拡大戦略で牛丼の吉野屋が122億円の負債を抱えて倒産した。
 この年、刑法犯少年が16万6千人を超え戦後最高を記録するとともに、全刑法犯検挙人員に占める少年の割合が4割を超えた。少年に有害な出版物や映画、放送等のはん濫、深夜喫茶店、ディスコ、ゲームセンター等の増加などが原因とされ非行の低年齢化やごく普通の家庭の少年によるいわゆる遊び型非行の多発が特長であった。そうした中、川崎市で予備校生の一柳展也被告が就寝中の両親を金属バットで撲殺する事件が起こっている(11月29日)。
 1月16日、元ビートルズのポール・マッカートニーが来日したが成田空港で大麻所持の容疑で現行犯逮捕、その後英国に強制送還された。前年に発覚した「KDD事件」で、2月24日、警視庁が前社長室長の佐藤陽一を逮捕、さらに収賄容疑が郵政省に拡大するなど官公庁・政界を巻き込んだ日本最大の汚職事件へと発展していった。3月6日のロッキード事件公判で小佐野被告の受領金が浜田幸一自民党代議士のラスベガス賭博借金返済に使われたことを検察が指摘、相次いだ不祥事により、大平正芳首相の威信は大きく低下した。そうした中、6月12日に大平首相が急死、22日に初のダブル選挙となる第36回総選挙・第12回参議院議員選挙が行われた。7月3日、53年以来集団失跡の「イエスの方舟」26人が熱海で発見された。8月16日、静岡駅地下街でガス漏れが発生し、爆発事故で14人が死亡する事故、11月20日、栃木県川治温泉・川治プリンスホテルで45人が焼死する火災が起こっている。
 10月22日、長島茂雄が巨人軍監督を辞任、11月4日に巨人軍の王貞治が現役引退を発表している。また、12月8日に元ビートルズのジョン・レノンが射殺される事件も起こっている。
 この年、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してアメリカ、西ドイツなど、IOC加盟148カ国中、西側50カ国近くがモスクワ五輪不参加を表明、日本も5月24日、JOC総会で不参加を決定した。
 そのほか長野市の誘拐事件で容疑者・宮崎和子と北野宏を逮捕、また東京・銀座の路上で風呂敷包みの1億円をトラック運転手が発見、警察に届け出た。任天堂は4月28日、携帯ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」を発売した。ヒット曲では「ランナウェイ」(シャネルズ)、「ダンシング・オールナイト」(もんた&ブラザーズ)、流行語では「赤信号、みんなで渡ればこわくない」など。
世相では漫才ブームやルービックキューブの流行、「チョロQ](タカラ)もこの年登場した。
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業界での出来事
 前年(昭和54年)に回復した景気も、昭和55年に入ると国内民間需要が低迷し、拡大テンポは緩慢化した。特に個人消費、住宅投資が停滞し前年の民間需要依存型の成長から海外需要依存型の成長へと変わっていったことも特長である。卸売物価も年初は上昇傾向にあったが、海外原材料価格の下落や円高の影響などから5月以降鎮静化した。求人倍率もしだいに低下し前年来の労働力需給改善の動きに足踏み状態がみられた。合繊3社(東レ、帝人、旭化成)の3月期決算はいずれも黒字となったが、これは一連のリストラの成果、合繊原料価格値上げのタイムラグの結果であり、同年は3社とも苦戦することになるのである。在庫の過剰感も強まり、昭和55年12月時点でのアンケートでは、半数近くの中小企業が在庫調整の必要性を感じていて、繊維関連の需要の停滞が深刻なものであったことが伺われる。また、染色防水工業は、エネルギー多消費型産業であり、大幅な燃料コストの上昇を加工賃に転嫁できず企業収益の悪化が目だっていた。
 昭和55年はレジャーブームが最高潮に達した。これは、石油ショック以降、〝ゆとり〟や〝自然回帰〟の流れが消費者に浸透したことが大きな要因で、東京・大阪で開かれたキャンピング&RVショウには多くの来場者で賑わった。まだ、この当時は量販店だけでなく、テント屋もアウトドア用途の製品を取り扱うことも多く、大阪の三和テント商会は6月、釣り用ボート、ゴムボート、キャンプテント、サーフマットなどの即売会を開催している。また、サマータイムの導入などが検討されだしたのもこの石油ショック以降のことであり、「省エネ」「ライフスタイルの欧米化」など、新しい日本人の意識が芽生えるきっかけになるのである。石油ショックによる燃料高騰は漁業にも影響を与え、帆船を復活させる動きも起こった。帆を取り付けることでエンジンの回転数を落とし、燃料使用を抑えることを狙ったもので宮崎の南郷町のマグロ漁船は帆を取り付けることで、燃料費を2割程度削減する事に成功した。
 新製品では、当時集会用テントというと白の天幕がほとんどであったが、加藤はGK式テントのイメージを一新、青の縞柄、オレンジの縞柄のカラフルなテントを発売した。工業用ミシンの大手メーカー・セイコーミシンは厚物用の延反機を発売、反物を広げ寸法取りをする工程の省力化に貢献した。泉は省エネをテーマに生地の裏側に特殊メタリック加工を施した「スーパークールテント」を発売したのがこの年。同じく米国・アルファ社の新型断熱材を輸入、溶接用カーテンやパイプの断熱素材として発売している。そのほか、関西帆布化学防水(現・カンボウプラス)は高周波ウエルダー加工用綿防水帆布「ヒューザー」を発売した。ダイニックがポリエステル基布とEVAを組み合わせた「スーパークリーンターポ」を発売した。無毒性、耐薬品性、加工性に優れたターポリンで、農業の貯水水槽や漁業の養魚水槽などに多く利用された。また、ヤマテンは感光性樹脂製版機メーカーのインタックと共同で雨や陽光に反応して開閉する全天候型巻上テント「ルーフデル」を開発・販売を開始した。
 1980年代のCIブームとシート素材の特性が合致することで飛躍的な普及を遂げたカッティングシートは、装飾テントの文字、キャラクターにも多く使われだした。その先駈けの中川ケミカルはこの年、「テンタック」を発売した。「ペインティングに代わる新しい装飾材料」と言う意味で、テント生地や表面の粗い素材に貼れる装飾素材として業界内で認知され、現在も販売されている。また、文化シャッターはこの年の店舗総合見本市ジャパンショップで電動式テント「エルバーネ」を発表、本格的販売を開始した。当時はまだ、オーニングという言葉は使われていなかったが、カッティングシートにしろ、この電動式テントにしろ、この年は業界の転換期であったといえるかもしれない。
 10月26日~29日、米国ネバダ州リノー市でCPAI(キャンバス・プロダクツ・アソシエイション・インターナショナル)総合展示会が開かれ、日本から岩堀嘉明氏(関西帆布化学防水㈱専務)ら八名がツアーを組んだ。参加した人からの声では、ヨーロッパメーカーのアーム式オーニングのデザイン性に目を奪われたという声が一番多かった。なお、この年を境にCPAIは発展解消し新たにIFAIとして活動を始めた。
 業界関係では太陽工業㈱枚方工場はテント縫製部社屋が手狭になってきたことから社屋の増築に入り、11月8日に竣工した。全長130m、幅36mの新社屋は当時世界最大級規模のものであった。日帆連が、この年、テント写真コンテストを開催、通産大臣賞に東京のクボタテント、労働大臣賞に東京のマルモ商工の作品が選ばれた。栃木県重布装飾工業組合が法人組合として5月25日に発足、理事長に飯塚宏氏が就任した。大阪工組の総会では新理事長に友永勝氏が就任した。また、九州のヒノデは創業20周年記念祝賀パーティーを4月1日に挙行、広島の藤原テントは宇品御幸に鉄筋2階建ての新社屋を竣工した。岡山県テント工業組合が岡山市の天満屋百貨店で7月18日からの6日間開催された「ショップ・ディスプレイショウ」にブースを出展した。また、東京天幕雨覆商工協同組合青年部(深澤武士会長)は11月9日、テント業界実態調査に基づいたパネルディスカッションなど3つのテーマで研修会を開催した。三重県帆布工組は11月15日~16日、テントの構造計算及びパース図面製作法などセミナーを開催、大阪帆布工組では11月16日、商品展示即売会を開くなど、各組合は活発な事業展開を行っていた。
元日帆連会長で稲垣商工㈱の稲垣勝蔵氏がこの年の秋の叙勲で勲四等瑞宝章を受章した。業界からは若村三人氏、山口三代一氏、須浪嘉宗氏が勲五等を受章していたが、1階級上位のものを受章したことはそれだけ、業界への貢献度が大きかったことを物語っている。
訃報では、大阪・タカラの若村三人氏が4月6日に、㈲田中専商店の取締役会長・田中専一氏が8月20日に逝去された。

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