産繊新聞社

昭和58年

昭和58年

社会での出来事
 NHKの朝の連続テレビ小説『おしん』が放送開始(4月4日)されたこの年の上半期は、様々なインフラが完成した。1月27日に19年間掘削してきた青函トンネルの先進導坑が貫通、大阪では市営地下鉄谷町線の大日駅―守口駅間が開通し、16年かかって全線が開業した(2月8日)。また、3月24日には中国自動車道が全線開通した。
 芸能界の薬物スキャンダルが新聞を賑わせたのもこの年上半期の特長。4月から5月にかけて俳優の萩原健一、歌手の清水健太郎、坂本スミ子などが大麻取締法で逮捕された。
 5月26日、日本海中部地震が発生、高さ10mを超える津波によって死者・行方不明者が104名を数えた。6月13日、訓練生の死亡・行方不明など、しごき訓練が問題となっていた戸塚ヨットスクールの校長・戸塚宏が傷害致死の容疑で逮捕された。
 9月1日未明、サハリン沖のモネロン島上空で大韓航空007便がソ連軍戦闘機により撃墜された(乗客乗員269人全員死亡)。大韓航空クルーのINS(慣性航法装置)設定ミスで、通常航路から500㎞も離れソ連領空を侵犯したことが原因であったが、責任という点では領空侵犯した側が大きいとしてソ連側を擁護する声も聞かれた。
 10月3日、三宅島の雄山が大噴火し、溶出流によって阿古地区の7割を焼失させる自然災害が起こった。また、11月22日には静岡県掛川のレクリエーション施設「つま恋」でプロパンガスが爆発し14名が死亡する事故が起こった。12月に入ると愛人バンク「夕ぐれ族」が売春斡旋容疑で摘発された。
 そのほか日本コカ・コーラがスポーツ飲料「アクエリアス」を大塚製薬が「カロリーメイト」を、カシオ計算機が「G―SHOCK」を同じ日に発売(4月1日)、また4月15日に東京ディズニーランドが開園した。「写真で時代を読む」をキャッチフレーズとして昭和56年に発刊した「フォーカス」がこの年、大ブームに。テレビアニメの「キン肉まん」人気とともに発売された「キン肉マン消しゴム(通称・キン消し)」がブームとなり、子供達の間で万引きが多発したのもこの年の特長であった。任天堂が、8ビットCPUを搭載した「ファミリーコンピュータ」を発売したのがこの年の7月15日のこと。発売当初、売上は振るわなかったが、『ドンキーコング』や『マリオブラザーズ』などがヒットし、家庭用ゲーム機の市場を大幅に拡大させていった。最終的には全世界で6、200万台を販売した。
 ヒット曲では「め組のひと」/ラッツ&スター、「めだかの兄弟」/わらべなど。フジテレビでオールナイトフジ、日本テレビでスーパージョッキーが放映開始した。
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業界での出来事
 昭和58年の経済は、アメリカを中心とする先進国経済の回復、石油価格の引下げの浸透、在庫調整の進展等を背景に輸出関連型業種を中心とする鉱工業生産が増加、徐々に持ち直した内需等に支えられ緩やかな回復を示した。また、半導体、ICをはじめとする電子部品、コンピューターといったハイテク産業が景気を引っ張り、いわゆる「ハイテク景気」が始まった。業界でも原油価格の値下がりによる原料コストの軽減は明るい話題。メーカー各社は次第に業績を回復させていった。ただ、アメリカへの輸出急増によって日米貿易摩擦問題が起こり、さらに電子部品への設備投資によって、供給が過剰となったことから、「ハイテク景気」は昭和60年6月には天井を打ち、約2年間という異例の短さで終わった。
 空気膜構造物(エアードーム)を巡る大手ゼネコンの先陣争いがこの年活発化した。当時、建設基準法で仮設物としてしか認められていなかったが、屋根付き休場や多目的スポーツスタジアム建設構想が地方自治体やプロ野球球団から発表され、全天候型大空間の要望が多く、清水建設、鹿島建設、大林組などが実験モデル棟を建て、実用化研究を進めた。そんな中、建築基準法の大臣認定を取得して、竹中工務店が恒久建築物第1号となるエアードーム第一号を受注した。ユーザーは静岡県東伊豆町の霊友会弥勒山体育館で、建築面積1、812・9㎡、延床面積1、794・2㎡、軒高5・1m、膜屋根最高部11・48mの規模。9月下旬より工事を着工、完成は翌昭和59年4月で、万博後13年という長い年月を経て、ようやくテントは恒久建築物として認められることになった。
 こうした中、大阪府帆布製品工業組合青年部会(片岡満会長)が、大阪府立金剛コロニー向けにエアードームを建設、寄贈した。地域社会に奉仕するボランティア活動の一環であり、この主旨に矢野テント、帝人・帝人商事、関西帆布化学防水などが協賛、また技術面では関西膜構造研究会が協力した。4月29日より工事に入り、5月3日に空気が送入され見事に立ち上がったとき子供達から歓声があがった。高さ12・5m、直径25mのエアードームは子供達のリクリエーションの場として活用された。
 昭和58年は一般商店がまだ力を持っていて、ファサードにテントを取り付けようという意欲も高かったが、その一方でアルミ枠とアクリル板のテントが異業種より発売され、この市場の競争が激化してきた。そこで、業界でも販売できる商品としてカシヤマが立山アルミと共同で「サインテント」を開発、兵庫・大阪や協同組合CPCなどが積極的に取り扱った。また、エントランスに取り付けるキャノピーなどにステンレス製の飾りパイプを好んで取り付けるお客、オーニングの内部に電飾をいれ夜間のアイキャッチ効果を求める客も多く、コスト削減を求める現代とは一線を画す時代であった。
 新製品が多く発売されたのもこの年の特長。ヤマテンは開閉式テント用ウインチ「ひっぱりだこ」を、ゴトー工業は可動式テントの巻き上げ機「アクター・ミニ」を、矢野テントはロイヤルパワーテントをこの年に発売した。また、東京のポルテは車で持ち運びが可能なバンガローテント「パオ」を、愛知の伊予田シートは、長さ2・4m、幅1・2mの台車にミニテントを取り付けた「移動式テント倉庫」を開発した。高島が発売したチューブ式イルミネーション「フローライン・ミニ」や、カシヤマが発売した「ボールサイン」などサイン関連に取り組む企業が出てきたのもこの年の特長であった。そのほかテニスブームもあいまって、富山の東洋化成が平岡織染のターポスクリーンを用いて防風・遮光スクリーンを発売した。オーニングでは、宮帆実業の「フランシアバーネ」、文化シャッターの「エルバーネ」、サンテンダーの「サンパーラ」、サラシナの「リリ・フレキシブル」と「コーベル」、関西帆布化学防水の「ワイナー」などに続いて三共商事が西独(現・独)シュミッツ社の「マルキルックス」の輸入を開始したのがこの年のこと。一方、キャンバスでなくアルミ板を使ったアルミブラインド「木かげ」が誠和産商より発売されたが、採光などの問題で業界の脅威にまでは至らなかった。
 この年、テント業界の中では、その販売方法に意識改革が求められだした。商店向けに普及しだしたアルミフレームとアクリル板を販売する業者は「訪販」が中心で、ローン制度も有していた。電話でのアプローチ、名刺の渡し方、販売マニュアルなど訓練されていて、どれをとっても「待ちの営業」のテント業界が太刀打ちできるものではなかった。すこし大きなテント屋では自社のカタログを用意する企業も現れた。
 業界企業では矢野テントが東大阪市若江南町に建設していた新社屋が完成し、3月1日取引先約200名を招き竣工披露パーティーを開催した。また、太陽工業のグループ企業として京阪店装(岡本治雄社長)が5月14日に設立された。物件では東京のクボタテント(久保田勝社長)が東京原宿のセントラルパーク内「カフェ ド ロペ」天井を透明ビニールで覆うテント構造物を施工した。日の出テント(京都)が京都・八瀬スポーツバレーの遊戯施設のテントを、大和重布商会(高知)は「旅館桂仙」の開口部に23台のオーニングを、村山商会(愛知)が東海高校校舎にエルバーネ11台を施工した。組合関係では栃木県重布装飾工組と愛知県帆布工組に青年部が誕生した。
 受章関係では春の叙勲で塗田正義氏(ヌリタ㈱社長、大阪帆工組相談役)に勲六等単光旭日章が贈られた。また、秋の叙勲で三和縫製の山崎康夫氏が勲五等瑞宝章を受章した。

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