産繊新聞社

昭和59年

昭和59年

社会での出来事
 3月18日、兵庫県西宮市の江崎グリコ社長宅に拳銃と空気銃を構えた3人組の男が侵入。社長の江崎勝久(当時42歳)が誘拐された。21日に自力で脱出したが、その後、グリコ製品に青酸毒物を混入したとの脅迫状で、グリコ製品の店頭からの撤去が始まった。6月26日に脅迫犯から集結宣言が出されたが、その後丸大食品、森永製菓、ハウス食品など大手食品会社が次々と脅迫され、実際にシアン化ナトリウム入りの食品がばら撒かれたことで、当時の社会に与えた影響は計り知れなかった。
 3年前(昭和56年)11月、ロサンゼルスで頭部を撃たれ亡くなった三浦和義氏の妻の事件で、1月19日、「週刊文春」が〝疑惑〟を報道した。2月18日、有名な冒険家・植村直己氏が,マッキンリーの冬季単独登頂に成功したが、下山途中に行方不明となる事故が起こった。5月には全国で発信機などを積んだ正体不明の気球が、392個発見された。6月15日に東京の百貨店でエリマキトカゲが公開され、以後一台ブームとなった。
 「兜町の風雲児」といわれた中江滋樹は、投資ジャーナル社を1978年に設立、投資家などに証券関連雑誌等で「絶対に儲かる」株式売買のテクニックを披露するとともに、1人当たり10万円~数百万円程度を徴収していたが、8月24日、無免許営業の疑いで強制捜査が入った。保証金を積めば預かり金の10倍もの融資を受けられると謳い、利用者の大半に「預り証」を発行しただけで、実際には株式そのものの引渡しなどは行っていなかったことが判明、被害者は8000人弱で額は580億円にものぼった。中江はアジア各地を8ヶ月逃亡、翌60年6月に逮捕された。
 昭和53年西陣署勤務時代に同僚のピストルを盗み、郵便局に押入り服役していた元警官・広田雅晴は、仮釈放中の9月4日、京都で警官を殺害し、ピストルを奪って逃走、その最中大阪のサラ金に立ち寄り、従業員を撃ち殺し現金73万円を奪った。京都、大阪両府警は、「広域重要事件115号」と指定し行方を追っていたところ、翌5日千葉の実家で逮捕された。
 1月ビクターが家庭用VHSビデオムービーの発売を発表、3月に宮崎駿監督のアニメ映画『風の谷のナウシカ』が封切りされた。6月に厚生省が日本人の平均寿命が初めて男女揃って世界一になったと発表した。
 9月18日、「トルコ風呂」の改称をトルコ人が訴え、12月から「ソープランド」と呼ばれるようになった。11月に写真週刊誌「FRIDAY(フライデー)」(講談社)が創刊、先に発刊していた写真誌「フォーカス」と「FF」戦争が勃発した。また冬は大雪、秋には台風ゼロという異常気象がこの年の特長であった。
ヒット曲ではもしも明日が…。(わらべ)、ワインレッドの心(安全地帯)など。
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業界での出来事
 昭和59年の経済は、前年からの景気回復の動きで、産業間・業種間にバラつきがあったものの、全体としては拡大を続けた。 実質経済成長率は年平均で5・8%と5年ぶりに5%台の成長となった。業種別では半導体、VTR機器などエレクトロニクス関連がブームを迎えた電気機械、精密機械の伸び率が突出していた。55年以来不振が続いていた普通トラックの国内販売台数がこの年、大きく改善、幌・シート需要も上向きとなり、業界として久々に明るいニュースとして捉えられた。合繊・産業用資材のほか、耐熱繊維や炭素繊維の需要も旺盛であった。ただ、下期にはいると対米輸出の伸びが一服状態となったことから、売上高の増勢は内需中心の小幅のものとなった。一方、素材型産業をみると、昭和59年度上期は国内景気の回復や加工型産業への素材供給増等で増加したが加工型産業に比べて伸び率は低く、下期は、鉄鋼を除いて前期比でマイナスとなった非鉄金属をはじめ総じて増加率は低く横ばいで推移した。
 新興産業の子会社で、香川県白鳥町にあった大手帆布メーカー「大路織布貿易」の工場が5月11日、火災に遭った。織機に付着した綿クズが摩擦熱で発火したのが原因で、倉庫と事務所は別棟で無事だったが、工場は全焼。国内トップクラスの生産量を誇っていたため、この火災で帆布の需給バランスが大きく崩れた。
 業界内ではこの頃、若手を中心として研修会が数多く開かれた。その中でも3月25日、東京・港区の日本鋼管高輪クラブで開かれた「テント業界合同交流会」は、6団体(東天協青年部、愛知工組青年部、大帆工青年部、関膜研、長野青年部、富山青年部)から64名が参加する盛大なものとなった。テント業界のPRのために何をしていくべきか、テントのシンボルマーク制作、全国各地で普及しだした「サンルーフ」への対応策などが真剣に討議された。大阪帆工青年部は毎月例会を開いていたが、3月は矢野テントの川崎巽氏を招き、「テント構造物と法規制」を、4月は高島がキャンペーンに乗り出したインクジェットの先駈け「NECO」の商品説明会、5月は関膜研と合同でロック工業の「電動式出入口防風カーテン」商品説明会、6月は前年、オーニング市場に参入した三共商事による商品説明会が開催された。
 運輸省の練習船の大型帆船「日本丸」がこの年、68億円で作り替えられたが、その帆(横帆18枚約1790㎡、縦帆18枚約990㎡)を桑田テント(福井県小浜市)が手縫いで製作した。6月10日から北海道で開催された小樽博では、太陽工業がルイジ・コラーン氏デザインで巨大な2枚貝の形を模したオタルステージを施工した。
 新製品ではクラレが高付加価値製品として抜群の引裂強度を持つ「IRファブリックシリーズ」、褪色しにくい原染スパンテント地「クレールⅡ」、保温・保冷性の高い「クラライト」、歩行性に優れる「クラライト―FL」を発売、サンテンダーは、一般住宅へのオーニング普及の一環として、高層建築用オーニング「ファーストアーム」とフランスのデザイナー・ヴァレンティノ・ガラヴァーニ氏コレクションの「ヴァレンティノ・ファブリックス」を発売した。また、太陽工業はやまもと寛斎デザインによるキャンピングテントを発売した。高島は日本相撲連盟公認の綿キャンバス製土俵マット「白星」を、ナショナルマリンプラスチックは食品・薬品業界向けに保温・保冷フレキシブルコンテナを開発、またアキレスが透明カーテン「ミエール」の販売を開始した。
9月、東京・後楽園球場に隣接する元競輪場跡地に日本ではじめて屋根付野球場を建設されることが発表された。今の「東京ドーム」で竹中工務店が受注、建設面積は約4万4千㎡、屋根部分は空気膜構造を採用し、63年春が完成予定であった。大型膜構造時代の幕開けで、追随して清水建設、大林組、大成建設、鹿島建設など大手ゼネコンも競って膜構造技術を研究しだした。
 この年の11月15日から3日間、東京・晴海で初めてのトラック・ショーが開催された。1954年から開催している「全日本自動車ショー(現・東京モーターショー)」が主に乗用車を扱うのに対し、こちらはトラックを始めとする商用車がメイン。70年代以降、使用目的で細分化され、多品種少量生産の道を歩んできた商用車はモーターショーになじまなかったため、専門の展示会として隔年で開かれるようになった。当時、アルミボディー車体が普及してはいたが、開閉部分にシートを使用するトラックも多く見えた。業界からは堀木商店(三重)と平岡織染が出展、堀木商店はウイングのように開閉する幌装置「オートアビオン」を、平岡織染は、面状発熱シート「ホット・ターポ」、保冷シート「クールキーパー加工」、軽量帆布「スーパーライト加工」、断熱・保温シート「セロシート」、接着テープ「ヒラオカUテープ」などを紹介した。
当時大阪でもJAPAN SHOPに似た「関西総合店舗ショー」(7月20日~24日)が開かれていたが、この年の展示会では田中専商店と文化シャッターの2社が出展、田中専商店はリ・リ「フレキシブル」と「コーベル」、日本軽金属のアルミオーニング「テントム」を、文化シャッターは「エルバーネ」やガラスパネルシャッター「パネルック」を紹介した。
 近畿内張(現・近畿)の新社屋が竣工、岸工業の新工場も10月3日、東広島市志和町に竣工し、それぞれ落成披露パーティーを開催した。日帆工連テント構造物委員会は東大阪消防学校でテントの燃焼実験を行った。業界内では文化シャッターから独立して、テンパルが誕生したのが4月3日のこと。春の褒章で山本ビニター取締役社長の山本晴敏社長が藍綬褒章を、大帆工理事長で大阪テントの友永勝社長が勲五等瑞宝章を受章した。秋の叙勲では鹿児島の平和テント社長・松田眞幸氏が勲六等単光旭日章を受章した。
 訃報では東京タカラ商会の高倉慶治会長が3月14日に逝去された。

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