産繊新聞社

昭和60年

昭和60年

社会での出来事
 昭和60年と聞いて直ぐに思い浮かぶのは、豊田商事事件である。金の地金を販売する契約を結びながら、現物は客に引き渡さずに会社が預かり証券を代金と引き替えに渡す形式を取るペーパー商法で、主に独居老人が狙われ、被害者数は数万人、被害額も2000億円近いとも見積もられている。さらに衝撃的であったのが6月18日、マスコミの目の前で永野一男豊田商事会長が刺殺されたこと。犯人は被害者の元上司に当たる自称右翼の男二人であったが、犯人の侵入の様子や血塗れの永野がストレッチャーで運ばれる様子がテレビで中継された。
 8月12日、日航ジャンボ機123便が群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称・御巣鷹の尾根)に墜落した。事故が発生した日は夏休み中で、「お盆の入り」の前日ということもあり、同便には出張帰りのビジネスマンのほか、帰省客や観光客が多く搭乗していた。4名が生存していたが、最終的には乗客乗員520人の死亡が確認され、その中には歌手の坂本九の名前もあった。単独事故としては世界最大の航空機事故でもある。
 2月27日、田中角栄元首相が脳梗塞で倒れ、政界から事実上引退した。4月1日、電電公社と日本専売公社が民営化され、日本電信電話㈱(NTT)と日本たばこ産業㈱(JT)が発足した。そのほかソニーが8ミリVTRを、国鉄がプリペイドカード「オレンジカード」をそれぞれ発売した。任天堂がゲーム「スーパーマリオブラザーズ」を発売し、空前のファミコンブームが到来した。交通事故で大けがをした川崎市の小学生に対し「エホバの証人」信徒の両親が信仰上の理由で輸血を拒否し、小学生は出血多量で死亡するという事件も起こった。
 スポーツでは阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝した。全国の野球ファンが燃え、空前の虎フィーバーが起こった。この勢いにのった阪神は日本シリーズで西武ライオンズを4勝2敗で下し、初の日本一にも輝いた。また、11月20日のプロ野球ドラフト会議でPL学園・清原和博内野手は6球団が1位指名したが、相思相愛と見られていた巨人が同僚・桑田真澄投手を指名、清原は西武が交渉権を得た。
 そのほか京都市が古都保存協力税実施したのがこの年の7月。清水寺など12寺院が反発し拝観者を閉め出す拝観停止に踏み切った。
 ヒット曲では「なんたってアイドル」(小泉今日子)、「フレンズ」(レベッカ)、「Romanticが止まらない」(C―C―B)、「翼の折れたエンジェル」(中村あゆみ)など。また、国民的人気バラエティ『8時だョ!全員集合』が9月28日終了した。
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業界での出来事
 昭和60年度の経済は、世界景気の緩やかな拡大や物価の安定、技術革新・情報化の進展等を背景として輸出が引き続き高水準で推移する一方、設備投資が総じて増加した。国内の消費意欲も緩やかに改善していった。業種にばらつきがみられるものの、全体として景気は緩やかな拡大を続けた。しかし年後半になると輸出が高水準ながら横ばいになったことから拡大テンポは緩やかになった。また、9月末の先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)以降、急速に円高に振れ、1~3月期は257円63銭だった為替レートが12月末に200円60銭まで上昇、10月の総合卸売物価指数は1935年以来最大の下落となった。その円高不況対策として行われたのが低金利政策。貯蓄性商品が利回りで相対的に有利になり、金融商品として人気となった。また、金融の自由化が進み、これが後のバブルの引き金となるのである。
 3月17日から半年間、「人間、居住、環境と科学技術」をテーマに筑波研究学園都市において「科学万博―つくば’85」が開かれた。日本を含む48ヵ国と37の国際機関が参加、総入場者数は、2000万人を超える盛況ぶりで、特別博覧会としては当時、最高の入場者を記録した。黒川紀章が設計したサスペンション膜の電力館、香山アトリエ・環境造形研究所が設計した3連空気膜のテクノコスモス館、I・I・E国際環境研究所が設計した骨組膜構造のサントリー館など、大阪万博に比べると数は少ないながらデザイン的に進歩した膜パビリオンが多く見られたのが特長であった。
 大阪の見本市会場といえばインテックス大阪。4年後の昭和64年で市制100周年を迎える大阪市は、その記念事業として大阪・南港中ふ頭の一角の12万9000㎡に見本市会場の建設を進めてきたが、5月15日に完成した。インテックス広場の大屋根は太陽工業のメローシステム(幅40m×長さ70m×高さ30m)が採用された。
 9月27日、兵庫県尼崎市塚口に西武セゾングループが建設を進めていた商業施設「つかしん」がオープンした。堤清二氏が提唱した街づくりの理念を体現した都市郊外型施設で、当初は西武百貨店の塚新店を核に、地元や阪神間の小売店によるショッピングモール・レストラン街・映画館などで構成された。当時珍しかった斜行式のエレベーター、六甲山を眺望できるロケーションもあって行列ができるほどであった。欧風タイプのレストラン街、ビバリーヒルズを思わせるモール街には可動式オーニングや円形固定テント、キャノピーなどさながらオーニング・コンクール会場の様相を呈した。
 ビル・商店・一般家庭の建築物の窓を含めた全ての開口部をターゲットにして、日除け・オーニング・スクリーン・ブラインド・窓用シャッターなどの製品PRと市場拡大を狙った「ウインドウカバリング懇話会」が、5月29日にはじめて開かれた。参加企業は㈱協和興業、井上スダレ㈱、林口経木工業㈱、明治アルミ工業㈱、㈱サンテンダー、㈱メタコ、㈱サラシナ、ナブコシステム㈱、三共商事㈱、貴和興業㈱、立川ブラインド興業㈱、㈱テンパル、三和シャッター㈱、㈱ヤマテンの14社だった。日除けテント用巻上げ機材「アクター」「アクターミニ」を発売していたゴトー工業㈱(埼玉)はこの年可動式オーニング市場に参入、日本の気候風土に合わせて設計した「サンアクター」を発売した。また、この年の7月、アルミサッシ大手の吉田工業(現・YKK)がオーニング市場に参入するニュースが業界に流れ、その対策のために業界で何が出来るか討議する動きも見え出した。
 大型膜構造に大手ゼネコンが興味を示す中、フジタ工業が広島市に建設した恒久エアードーム「ナタリー・ドルフィンクラブプール」が、建設大臣認定を受けた。この時点で4例目、フジタはこれを期に積極的な空気膜市場に参入していくことになった。その一方、霊友会でエアードームの先駈けとなった竹中工務店は、「ケーブルドーム構造技術を米国・ガイガーストラクチャーズ社より技術導入しだした。
 ㈱増田清商店が発売した新スライドテント。テント業者と強力な販売体制を構築しながら売上を伸ばした。当初はテント倉庫など産業用に多く販売していたが、この頃になると幼稚園・学校のプールや野球練習場、全天候テニスコート、ゲートボール場などの用途に使われだし、5年間で6万㎡の実績を生み出した。
 旭化成商事サービスは、不燃化志向が高まる中で、ガラス繊維織物に特殊シリコンコーティングした「SGシート」や防水・耐候性を高めた「ストロームテント1000」を発売した。独自技術では東京タカラ商会は縦、横、斜体文字を自由に作画できるG・C・Gシステムを、秩父プラスチック工業はオニハトメも確実に打てる万能油圧ハトメ「マッハⅡ」をそれぞれ開発した。また、新製品ではユニチカ化成は防汚帆布「パーマケア」と結露防止帆布「スイコム」を発売、平岡織染は低電圧発熱シート「ホットターポ」を発売した。
 1月31日、日東電工、太陽工業、ケミファブ社の3社合弁で、建築用恒久膜材を製造・販売する「日東ケミファブ社」が設立された。組合関連では香川工組は青年部主導で2月17日、今後の業界動向の講習会を、東天協も青年部が主体となって2月24日、電気基礎知識の講習会を開くなど、若者が意欲を持って研修会を企画した。また、2月10日、富山県工組で日本海側初の青年部会が、山口県でも4月20日、青年部会が誕生し、それぞれ設立総会が開かれた。福岡工組は第五回通常総会で新理事長に松岡博氏を選任した。香川県工組が3年後の瀬戸大橋完成とともに「瀬戸内博」が開催されることもあり、そのイメージ戦略として組合のトレードマークを制作、また技術向上のための講習会を積極的に開いた。また、愛知工組も高島が展開するNECO印刷システムの見学会を開催した。
 秋の叙勲で㈲野々宮商店(徳島)の野々宮俊次氏と協和㈱(東京)の石川弘氏が勲五等瑞宝章を受章された。また、訃報では福岡の第一テント㈱会長の大塚萬次氏が7月31日に、香月テント㈱会長の香月四郎氏が10月9日に逝去された。

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