産繊新聞社

昭和61年

昭和61年

社会での出来事
 この年は国内よりも、国外で衝撃的な事件・事故が多発した。1月28日、TV中継で全世界の人々が見守る中、アメリカ・NASAのスペースシャトル・チャレンジャー号が打ち上げ73秒後に大爆発を起こし、7名の乗組員全員が死亡した。低温によるOリングの弾性喪失や設計ミスで燃料が漏れたことが原因とされている。4月26日、ソ連ウクライナ州のキエフ市チェルノブイリ原子力発電所で爆発事故が起こり、火災が発生した。消防士31人が死亡し、大量の放射性物質がまき散らされた。国内でも放射能を検出するなど汚染の恐怖が広がった。
 国内に目を向けると東京の中野区立中野富士見中の二年生が、「いじめ」を苦に首吊り自殺、4月にはアイドル歌手の岡田有希子さんが飛び降り自殺、これにつられて若年層の後追い自殺が相次ぐなど暗いニュースが多かったが、そんな中、5月8日に来日したイギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃によって空前のダイアナ妃ブームが到来、また6月に上野動物園のパンダ「ホアンホアン」に赤ちゃんが誕生したことは一服の清涼剤であった。
7月の衆参両院同日選拳で自民党が圧勝したが、タガが緩んだのか自民党内部で問題発言が相次いだ。中曽根首相は9月、静岡県で開かれた研修会で「アメリカには黒人とかプエルトリコとか、メキシカンとか、そういうのが相当おって、平均的にみたら(知的水準が)非常にまだ低い」と発言、これが米国内で問題化し、首相自ら陳謝する事態となった。また、灘尾正行文相が雑誌「文芸春秋」(10月号)のインタビューで「日韓併合については韓国にも責任ある」などと発言、罷免される事態も起こった。
 11月、和歌山で女性信者7人が、病死した教主の後を追い集団焼身自殺する事件が起こった。また、同月15日、三井物産の若王子信行マニラ支店長が武装5人組に誘拐された。事件は長期化し翌年の3月31日に解放されるまで解決には137日かかった。そのほか、日航ジャンボ貨物機が荒らすか上空で球状のUFOに異常接近された事件、ビートたけしが講談社フライデー編集部に殴りこみをかけた事件などが起こった。
 漫画では5月より少女雑誌〝りぼん〟で「ちびまる子ちゃん」(さくらももこ)が連載を開始、またファミコンソフト「ドラゴンクエスト」が発売された。
 世相では地上げ屋の暗躍、財テクブームなど。歌では「My Revolution」(渡辺美里)、「DESIRE」(中森明菜)、「Ban BAN Ban」(KUWATA BAND)、「天城越え(石川さゆり)」、 「CHA―CHA―CHA(石井明美)」、などがヒットした。「亭主元気で留守がいい」や社会党女性党首として選ばれた土井たか子が就任時に語った「やるっきゃない」が流行語に。
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業界での出来事
 昭和61年の日本経済は、前年から急激に円高が進んだこともあり景気の減速傾向が強まった。輸出は名目で17%、実質で5・7%マイナスとなった。しかし、一方で個人消費と住宅投資は堅調に推移、名目・実質ともプラスで、輸出と内需、製造業と非製造業の好不調が対照的に現れた。後に景気の二面性と呼ばれる現象であるが、もうひとつバブルに向かう過程で指摘しておかなければいけない点として、原油価格の下落があった。石油ショック以後、日本では省エネとその技術開発が進んでいたが、原油価格の下落は、その技術の開発努力の後退を招いた。省エネ投資が頭打ちとなり、鉄鋼、化学、パルプなどエネルギー多消費型産業の生産が大きく増大した。こうした不況を脱するために行われた政策のひとつに大幅な金融緩和があった。これが引き金となり、株式や土地の資産価格が実体経済では説明できないほど上昇、この状況は1991年に株価が下落に転じるまで続くのである。同年11月、いわゆるバブルの始まりである。
 この年は、YKK(商標・サンブレロ)がオーニング市場に参入したことで、住宅にまで市場が広がりだしたが、業界の中ではレトラクタブルオーニングで客先の要望に対応できない構造に、独自で新しい開閉式オーニングに取り組む企業も現れた。カバンで有名な京都の一澤帆布工業は、この頃まだテントを施工していたが、雨の日でも参拝できるようにと奉られている「稲荷」をサンルームのように囲い、レールに沿って傾斜面や曲面を開閉するF・T・Sオーニングを施工した(技術協力・ヤマテン)。また、東京のクボタテントは、幌型オーニングとコーニッシュオーニングを合体、幌型部分全体が前にせり出す変形オーニングを国鉄(現・JR)甲府駅ビルに施工した。客先ニーズが多様化したのが一因で、メーカーもこうしたニーズに合わせて新製品を検討、ゴトー工業は、「サンアクター連装タイプ(6間もの)」を、テンパルは「エルバーネ」の前枠に内蔵できる巻上げ式日除け垂れ幕「ローリングシェード」とキャンバスの角度を自由に調整できる角度調整機構「ウィンガー」を発売した。
 昭和60年に日東電気、米・ケミカルファブリック、太陽工業などの共同出資で設立された日東ケミファブは、大型膜構造物市場に対応するために日東電気関東工場内に年産約1万5千㎡の製造ラインを建設することを発表した。当時は安田学園屋内テニスコート、嘉悦女子短期大学体育館、東武動物公園屋内催場、フジタ・ドルフィンクラブナタリーと大手ゼネコンが次々と膜構造物を建設、また東京ドーム建設も発表され、テフロン膜が栄華を極めた時期でもあった。一方、春日部市店舗前の軒先テントが雪の重みで崩れ、支柱の鉄パイプが会社員にあたり死亡するという事故が起こった。これを機に安全性が業界の中でも強く意識されるようになるのである。
昭和56年に開催されたポートピア'81で大きな成功を収めた神戸を模倣してこのころ地方博ブームが起こった。「豊のくに中津大博覧会」(大分県中津市)、「北海道21世紀博覧会」(北海道岩見沢市)、「秋田博'86」(秋田県秋田市)が長期間の会期で開催された博覧会であったが、そのほかにも小規模で短期の博覧会も各地で開かれた。この中で熊本市の水前寺江津湖公園で開催した全国都市緑化くまもとフェア「クマモトグリーンピック'86」の多くの膜構造・テントを熊本県帆布製品工業組合(谷口勝利理事長)が受注、その受注額は1億7千万円であった。
 この当時、倉庫・工場・配送センターの門扉としてスチール製シャッターが多く設置されていたが、トラックやフォークリフト、運搬車の出入りが激しい場所では、開閉スピードの問題でエンドユーザーからシートシャッターの要望が多く上がっていた。前年の昭和60年8月、小松電機産業がシートシャッター「門番」を発売、文化シャッターもこの年の10月、小松との技術提携で「エアキーパー」を発売したが、業界内でも新しい市場として認知されだし、独自商品を開発する企業も現れた。城北工業㈱(当時は大阪市都島区)は既築の建造物に簡単に取り付けられる「テントシャッター」を発売した。また、この年は食品衛生の観点から工場系の間仕切り需要が高まったことで各社が新製品を上市、アキレスはライン入り軟質塩ビドアカーテン「アキレスエミールライン防虫タイプ」を、高藤化成は透明度がいつまでも変わらない「ポインターズ」リブ付Sドアを新発売した。
 地方のテント屋では、高知テント商会は、鏡川まつりで全長20mと6mの親子鯨をターポリンで製作し土佐っ子を楽しませた。岡山の松本テントは鷲羽山ハイランド遊園地のイベント広場にW18m、L15m、柱高6m(最長7・5m)のテントを2基施工した。
 新製品ではヤマテンは開閉式テント部材の「スライダーX」「ガイロカン」「ガイロカンX」を、東京タカラ商会が、色々な形態が簡単に組める「TECHNO FRAME」を、協和電工は屋外用耐湿・防湿蛍光フォルダーを、シンセイはHORO HOROブランドの組立式パイプテントを発売した。
 業界関連では東京天幕雨覆商工協同組合は1月18日に品川パシフィックホテルで新年親睦会を開催したが、丁度青年部が結成されてから10年目を迎えたことから、周年記念大会も併催した。親睦のほかに旱魃と飢餓に苦しむエチオピアにシートを送る運動も展開された。また、当時20組合に結成されていた青年部を全国組織とするための日帆工連青年部会設立準備委員会が結成された。組合関係では亀田幸雄氏(㈲三島シート)を初代会長に神奈川県帆布製品工業組合青年部会が設立された。
 そのほか太陽工業㈱・太陽㈱は創立40周年を記念して東京は11月16日、千代田区の「ホテルグランドパレス」、大阪は都島区の「太閤園」で社員・家族を招き、盛大な祝賀会を開催、大阪帆工青年部と関膜研が製作、金剛コロニーに寄贈したエアーテントが同年の仮設許可が下りないという理由で、8月24日撤去した。
訃報では㈱タカラの若村照明氏が6月2日に、東天協理事長の山下是清氏(浅草武シート)が、10月29日逝去された。

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