産繊新聞社

昭和63年

昭和63年

社会での出来事 
 昭和63年前半というと何故か今(平成24年)と似かよっているところが多い。時はバブルに向かい、株価は上昇、12月に東証平均株価が初めて3万円台を突破するが、ちょうどアベノミクス効果で株価が上昇している現在の経済と重なる。また、昭和61年のソ連・チェルノブイル原子力発電所4号炉で事故が起こったことで、同年1月の総理府調査では原子力の安全性に対して不安を持つ人が86%にも及んだ。これも福島原発事故後の今の国民心理と似ているし、同年6月、日米間で正式合意に達した牛肉・オレンジ自由化交渉は、今政府が進めているTPP交渉と重なる。3%の消費税導入を含む税制改革法案が閣議決定されたのも昭和63年6月28日のことで、25年という時を一括りに、社会で同じことが繰り返されている。
 1月、ソニーがVHS方式の家庭用VTR発売を発表。事実上のベータ方式の敗北宣言であった。2月に発売されたファミコンソフト『ドラゴンクエストⅢ』は1日で100万本を完売した。3月青函トンネル開通により、青函連絡船が廃止、4月には本四架橋・児島~坂出ルートの瀬戸大橋が開業し、宇野~高松の宇高連絡船が高速艇を除き廃止された。 4月29日、昭和天皇が腸閉塞の手術後初めて一般参賀へお出ましされたが、これが天皇誕生日の最後のことであった。
 イラン・イラク戦争でイランと米国の緊張状態が続いていた最中、米軍がイラン旅客機をミサイル誤発射により撃墜、298人が死亡するという大惨事が起こった。事件後、撃墜に激怒したイラン当局は各国の報道陣に墜落現場を撮影させ反米宣伝に利用、両国の緊張は現在も続いている。また、同月海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と釣船「第一富士丸」が横須賀沖で衝突、30人が亡くなるという事故、8月に入るとパキスタン大統領機が墜落。ムハンマド・ジア=ウル=ハク大統領ら37人全員が死亡する事故も起こった。
 この年は変化の年ともいわれた。山陽相互銀行は普通銀行への転換の際に「トマト銀行」と改称、スポーツではダイエーが南海ホークスを買収し、福岡ダイエーホークスに、また阪急ブレーブスもオリエントリースに売却された。一方で消費税導入などを盛りこんだ税制改革6法案が参議院を通過し、12月24日、竹下内閣の下で消費税(3%)がスタートした。
 そのほか1986年の開始以来、20年続いたフジテレビの情報番組『3時のあなた』が4月に終了したほか、団塊世代後のファッション・情報・風俗・グラビアなどを取り扱う週刊誌「平凡パンチ」が休刊。絵本の『ちびくろサンボ』を「ワシントン・ポスト」紙が黒人差別と批判し絶版、12月には昭和43年に起こった三億円事件の民事時効が成立した。
 ヒット曲ではパラダイス銀河(光GENJI)など。
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業界での出来事
 昭和63年というと地方博覧会時代の幕開け。翌年(64年)に全国38都市が市制百周年を迎え、その記念行事として催されたことが大きな理由で、上半期は、3月19日に熊谷市で開幕した「さいたま博覧会」を皮切りに、瀬戸大橋架橋記念博覧会として倉敷市と坂出市で「アベック博覧会(3月20日~8月31日)」、兵庫・三田市の「21世紀・公園都市博覧会(4月17日~8月31日)」、奈良市の「なら・シルクロード博覧会(4月24日~10月24日)」、北海道全域の「世界・食の祭典(6月3日~10月31日)が開かれた。下半期は日本最北端での開催(シーサイドパーク広尾・十勝港)として注目された「十勝海洋博」、〝人がいる、人が語る、人がつくる〟をテーマとした「ぎふ中部未来博88」(岐阜市長良川群)、青函トンネル開通を祝って開催された「青函博」(青森と函館で同時開催)、「静岡88国際姉妹都市フェア」が開催、そのほか食関連のイベントも全国で数多く開かれた。各会場のパビリオンや通路、休憩所、商店などは、9割方が膜構造であったが、その中でも太陽工業の「メローシステム」がゲートに数多く施工された。このころが仮設という点からテント・膜構造が一番もてはやされた時代であった。
 こうした地方博覧会や各地のイベントをターゲットとし、各地方組合は積極的な受注活動を展開した。瀬戸大橋架橋記念博覧会では、本州側を岡山帆工組が担当、テーマ館やかけはし産業館などのパビリオンと会場周辺の小型テントを受注し設営に当たった。また、四国側は香川帆工組青年部が中心となって昭和60年より商談を進め、バスターミナルのテントシェルターや休憩用シェルター、パビリオンのファサードテントなどを受注、その総額1億円を超えた。また、博覧会以外でも10月15日から20日まで、京都市一円の各競技場で開かれた第43回京都国体において、京都帆工組(紀伊馬達夫理事長)が数百張のテントの共同受注を果たし、各会場に設営した。大会に利用する机、椅子、流し台、ガスセットなど備品を入れると一億円以上の金額であった。再来年に福岡県で「とびうめ国体」が開かれることもあり、福岡帆工組等が視察に訪れた。
 バブルへと向かうこの年、民間と行政による第三セクターや鉄道・バス会社によって、新規遊戯施設やリゾート開発が計画された。新日本製鉄らによる第三セクターは北九州市の八幡製鉄所に「スペースワールド」建設、阪急は呉市で「くれフェニックス計画」、西武は広島湾にヨットハーバーやレストラン、ホテルを備えた「マリーナ整備」、京阪は瀬戸大橋のたもとに「フィッシャーマンズワーフ建設」、琴平バスは香川県仲多度郡に「博物館とお祭り村」の建設。これは西日本の一部の計画であって、全国で見ればこれの数倍が計画され、テント業界も大いに盛り上がった。しかし、バブルの崩壊とともにこれら計画のほとんどが頓挫および建設後に赤字によって閉鎖する事態となったことは皆が知るところである。
 この年、東京ドームのオープンで膜構造物・ハイテクテントがにわかに注目を集めた。土木工事現場の防音・防塵化、食品工場・キノコ生産のための簡易クリーンルーム、個人住宅・アパート用の小型体育館、植物工場の建屋など様々な用途に使われている事例を「週刊ダイヤモンド」が取り上げたこともあり、膜やビニールシートの活用範囲が広がった。
 新製品ではアキレスが防塵、静電気、電磁波防止を目的とした「エアリブドーム」を、㈲石垣テントは上から見れば正六角形の大型組立式テント「ジャンボヘキサ」をそれぞれ開発、㈱ハンプオオタニは、アコーディオンタイプで収納がすっきり出来る可動式間仕切り「キャンバススラット」を新発売した。また、リョービ㈱が西ドイツのベッカー社のチューブモーターを輸入、販売を開始したのも昭和63年上半期のことであった。また、高価であったカッティングマシン市場に住友スリーエムが低価格機種「スコッチマスタージュニア」を発売したことで、テント業界にも少しずつ普及が始まった。新製品では太陽電池を利用したビニールハウスの開閉装置を長崎市のムラサキエンジニアリングが開発した。現在の創エネ装置の先駆けで、オーニングやテントへの転用・利用が期待されたが、当時はまだ理解度が低く、積極的な研究がなされないまま、消えていった。また、パソコンの普及でコンピュータによるプリントシステムもこの頃から登場しだした。大阪・福島区のIPSは版や中間フィルムを用いないプリンティングシステムを開発した。そのほか、竹中工務店は開閉式のシェルドームの開発に成功したことを10月発表、鹿島建設のハイブリッド膜構造が青森・八戸のトレーニングセンターに採用された。
 業界関連では関西帆布化学防水㈱が4月1日に「カンボウプラス㈱」に社名を変更した。テンパルはフレンド店会の子弟を一定期間社員として預かり、オーニングの施工技術や営業ノウハウを学ばせる「研修社員制度」を設けた。業界では各膜メーカーが、「〇〇会」という名前で研修などを実施していたが、研修社員制度という形でははじめての試みであった。
組合関係では3月4日浅草のビューホテルで東京天幕雨覆商工協同組合が30周年記念式典を開催、5月15日の大阪帆工組総会で樫山喜世司氏が、5月30日の滋賀帆工組の総会で高田忠明氏がそれぞれ理事長に就任した。また日本帆布製品工業組合連合会は、理事長に田村博氏を選出した。
 秋の叙勲では日帆工連相談役・小峰ハンプ㈱会長の小峰徹氏が勲五等瑞宝章を受章、訃報では日帆工連専務理事の松山秀雄氏が10月28日に京都で開かれたテント倉庫部会の会議中に倒れ、30日急逝された。

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