産繊新聞社

終戦~昭和28年

終戦~昭和28年

社会での出来事
昭和20年8月15日、正午に昭和天皇の肉声で読み上げられた終戦詔書がラジオで放送され(玉音放送)、日本国民にとって終戦の日となった。8月17日に東久適宮内閣が成立、また戦時中、機密事項として発表されなかった天気予報がラジオで復活した。8月30日に連合軍最高司令官、マッカーサーが厚木に到着、9月2日にミズリー号上で降伏文書の調印が行われ、10日「日本管理方針」声明を発表した。国民は食うや食わずの生活を強いられ、街頭には青空市場(ヤミ市)が氾濫した。また9月17日、枕崎台風で、死者・不明3122人が亡くなっている。。
昭和21年5月3日東京裁判が開廷、5月第一次吉田茂内閣成立、サザエさん」連載もこの年開始 (夕刊フクニチ)された。昭和22年4月6・3・3学制発足。昭和23年3月21日、第一回NHKのど自慢、8月17日プロ野球ナイターが始まった。
昭和24年1ドル360円に固定、11月に湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞した。昭和25年6月25日、朝鮮戦争がはじまったが、国内では1000円札の発行、第一回ミス日本に山本富士子が選ばれた。
昭和26年第1階NHK紅白歌合戦がラジオで放送、また娯楽としてパチンコが大流行し、軍艦マーチが復活、また、東京・銀座の東京温泉開業に向け「トルコ風呂」のサービスガール募集も始まった。昭和27年4月28日、対日講和条約・日米安全保障条約を発効しGHQが廃止、街頭・店頭テレビが人気となった。昭和28年2月、NHKが東京地区でテレビ放送を開始、この年落下傘スカートや真知子巻きなどが流行した。
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業界の出来事
昭和21年より始まった繊維統制は戦時統制ほどではないものの、商工省の統制が続き、登録で商売はできるもののあくまで配給制であった。帆布、濾過布、タイヤ・コードなどの工業用生産資材のみならず、衣料用の原布も生産資材として指定繊維資材の足かせがはめられ、需要者割当証明書や販売者割当証明書と引き換えでなければ、譲渡も譲受もできなかった。これ以外は闇物資扱い。もちろん公定価格は決められていたことから、証明書のない商品は闇価格又はヤミ公という高い価格が設定されることも致し方がなかった。
重布の生産計画を見てみると、昭和22年度帆布が2,726(千ポンド)、厚織で4,993(千ポンド)、昭和23年度が帆布が3,406(千ポンド)厚織で7,078(千ポンド)、昭和24年度が帆布が8,098(千ポンド)、厚織が10,801(千ポンド)であった。
昭和25年6月25日に勃発した朝鮮戦争によって、米軍向けの軍需物資とフランスミッション向け(ベトナムおよび中国向け)の軍需物資の発注が相次ぎ、綿帆布業界は大いに潤った。日本経済は一時的に活況を取り戻したが、昭和26年6月、ソ連のマリク国連代表の停戦交渉の呼びかけに応じて、7月には休戦会談が開催され、戦争は終息に向かった。各国の軍備拡張の生産が停滞すると、内外の市況は急速に悪化し、27年に入ってからの繊維市況は、生産過剰の傾向が明らかとなり繊維相場は暴落し、不渡手形金額は増大し、これは第1次大戦後の反動不況を思わせるものであった。

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