産繊新聞社

高砂神社で

高砂神社で

「当社で検討を重ねましたが、残念ながら今回の採用は見送ることになりました。貴殿の今後の活躍をお祈りいたします」。
もう何社、こんな手紙をもらっただろう。いまさらこんなことを言っても仕方がないのだが、もっと将来のことを考えて勉強していればよかった。そんなことばかり考えていた。
 高橋美帆は、兵庫県姫路市の私立高校に通う3年生。隣接する高砂市に生まれ育ち、学校では陸上部のキャプテンを務めていた。子供のころから絵が上手で、中学の頃は服飾デザイナーを夢見ていたが、勉強のほうはからっきしダメ。試験はいつも一夜漬けで、成績は下から数えたほうが早かった。明るく快活な女の子で、高校に入ると友達とおしゃべりをしたり、メールをしたりして、それだけで毎日が楽しかった。いつしか中学の頃に思い描いていた夢すら忘れ、なんとなく時間だけが過ぎていた。
 事情が変ったのが高2の夏。医療機器卸会社に勤める父親が、経営不振から会社をリストラされた。それまでは、高校を卒業して、どこかの大学にでも入って、それから自分の目標を見つければよい。それが普通の生き方だと、何の疑いも持っていなかった。ところが、いざ自分の父親がそんな状態になると自分の考えの甘さに気がついた。高校を卒業するまでの授業料は、何とか親の貯えから出る見通しがあったが、大学の授業料までは…。しばらくはアルバイトでもして食いつなげるだろう。でも、将来のことを考えると、どんな職種でもいいので高校卒業して正社員として就職をしておきたかった。

―リーマンショック以降、企業業績悪化に伴い若者たちの就職難が続いた。この当時の高校生の就職率は大きく落ち込み、全国ベースでは2010年が68.1%、2011年は多少改善が見られているが70.6%。実に10人のうち3人が正規雇用につけない状態であった。―

 都会への憧れがあったのか、美帆が面接を受ける企業は地元ではなく神戸より東、大阪や尼崎の企業ばかりであった。結果は芳しくなかった。そんなとき、学校の先生より地元の企業でも求人があるので一度面接を受けてみればとの提案があった。
 秋も深まった11月、美帆は高砂市臨海部にある企業の試験を受けた。自信はなかった。高卒女子の採用人数は若干数という求人に対して受験者は30名ぐらい。競争率を考えるだけでテンションが下がったが、それよりも自信をなくさせることがあった。回りを見渡すと明らかに自分より真面目そうで、制服を見ると自分の高校より偏差値が高いところばかりだったからだ。
 午後2時を少し回ったころに面接と試験が終わり、最寄り駅の山陽電鉄荒井駅までバスで送ってくれた。いつもならこのまま自宅に帰るところであったが、美帆はなぜか神頼みをしたい気分もあり、帰り道は一駅東の高砂駅まで歩き、その途中にある高砂神社を参拝することを思いついた。「就職がうまくいきますように」。賽銭を10円にするか50円にするか、つまらないことに悩みながら、美帆は本殿に向かって手を合わせた。参拝が終わった美帆が帰ろうとしたとき、違う制服を着た同世代の女の子が隣で手を合わせていた。「綺麗な子…」。美帆がそう思ったその子は、今日自分が受けた会社の封筒を持っていた。

 三浦理帆は神戸の公立高校に通う3年生。母は3歳のときに亡くなり、ずっと父子家庭で育った。内気で人見知り。体が弱かったこともあり、あまり外で遊ばず小さな頃からの楽しみは、父が仕事をする姿を隣で見ることだった。
 父は神戸市兵庫区でテーラーを経営していた。おべんちゃらの一つも言えない職人だったが腕は確かだった。仕事はフルオーダーが中心。紳士用のスーツやジャケット、コートだけでなく、女性ものの注文にも応じた。採寸をおこないサイズを注文者に合わせ、専用の型紙を起こし作っていく。客は父が作った洋服を着るとみんな満足して帰っていった。
 お小遣いをためておもちゃのミシンをはじめて買ったのが5歳のときだった。父を真似て人形の洋服をいつも縫っていた。父もそんな娘がかわいくて、小学校高学年の頃に中古のミシンをプレゼントした。中学に入るともう自分が着るワンピースを作るぐらいに腕を上げていた。父にとって理帆は自慢だった。理帆にとって父は目標で、洋服を作ることが自分の天職だと考えるようになった。
高校に入った頃、父の酒量が急に増えた。景気の良いときは5人いた職人も今はもういない。今までなら知り合いに「跡継ぎ」の話をされると、ニコっと笑って理帆の顔を見ていたが、最近は酔うと「お前は成績も良いのだから、縫製の仕事なんかせずに、どこか大きな会社に就職したほうがいい」というのが口癖となっていた。

―1965年前後においてはビジネススーツのほとんどが注文服だったが、今は既製服が市場のほとんどを占有している。また、全体的な動向としてもクールビズや景気低迷などの影響でビジネススタイルのカジュアル化や低価格化が進んだことにより、ビジネススーツ全体の需要は縮小傾向にある。テーラーの商店数は1997年以降調査されていないが、1994年に1万軒を割り込み、1997年は7700軒。現在ではその数は更に減っていると考えられる。―

 理帆は性格的に「お父さんと同じ仕事がしたい」と言える子ではなかった。ただでさえ仕事が少なくなっているのに、自分が仕事を手伝えば、生活で重荷になるのではないかと考えたからだ。「どこでもいいので就職したい」。そうした点では美帆と同じだった。

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional